翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 21-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 スタール夫人はしばらくジルベールを観察していた。

 ジルベールの方ではその間に堅苦しい挨拶を済ませた。アメリカのクエーカー教徒を思わせる慎ましやかな挨拶であった。つまり女性に対して微笑んで敬意を表すのではなく、友愛によって安心させるクエーカー流の挨拶である。

 次に一瞥して、既に名を成している婦人の人となりを分析した。智的で表情豊かな顔立ちには愛想だけはこれっぽっちも存在しない。色っぽい身体の上に載った女の顔ではなく、むしろどこにでもありそうな男の顔だった。

 夫人は柘榴の枝を手に、毟るともなく口で花を毟っていた。

「ジルベールさんというのはあなた?」

「ええそうです」

「お若いんですね。ご高名はかねがね耳にしていますよ。もしかするとお父様かお兄様のお名前かもしれませんけど」

「ほかにジルベールという人間は知りません。仰るように多少なりともこの名前が有名なのだとすれば、その栄誉はすべてこの僕のものです」

「ラ・ファイエット侯爵の名前を出したのは、私に会うためですね。確かにあなたのことは聞いていますよ。深い科学の智識をお持ちだとも」

 ジルベールは頭を下げた。

「それも並はずれて重要な科学だと。そこらの化学者や臨床医とは違い、生命科学のの謎を探ったそうですね」

「ラ・ファイエット侯爵は僕のことを魔法使いだと言いませんでしたか」ジルベールは笑みを浮かべた。「そう言ったのだとしたら、あの人なら、その言葉を証明しようと思えば証明してしまえたはずですね」

「その通りでした。あなたは戦場であろうとアメリカの病院であろうと関係なく、重態の患者に見事な治療を施したそうじゃありませんか。将軍のお話では、患者を一時的に死んだ状態にしていたそうですが、本当に死んだようにしか見えなかったと仰っていました」

「死んだように見えるのは、まだ人には知られていない科学の成果なんです。今はまだ限られた仲間にしか知らせていませんが、いずれは誰にでも広く知ってもらうつもりです」

「メスメリズムですね?」スタール夫人が微笑んだ。

「そうなんです、メスメリズムです」

「きっと提唱者ご本人を師と仰がれたのでしょうね」

「師ですって? メスメル本人も生徒でしかありません。メスメリズム、或いは動物磁気とは、エジプトやギリシアに伝わる太古の科学なんです。中世の海の中、一度は失われてしまいました。シェイクスピアがマクベスの中で予言し、ユルバン・グランディエが再び見つけ、見つけたために死ぬことになったものです。それはともかく、僕が師事したのはカリオストロ伯爵です」

「あのいかさま師ですか!」

「待って下さい。生きているうちは認められないかもしれませんが、後の世には正当に評価される方ですよ。僕の科学もそのいかさま師のおかげですし、その人のおかげで世界は自由を手にすることになるはずです」

「わかりました」スタール夫人は微笑んだ。「私は存じ上げませんけど、あなたはよくご存じなのですから、きっとあなたが正しくて、私が間違っているのだと思います……それよりあなたのことです。長い間フランスを離れていた事情をお聞かせ下さい。ラヴォワジエやカバニスやコンドルセやバイイやルイ(les Lavoisier, les Cabanis, les Condorcet, les Bailly et les Louis)に混じって身を置こうとしなかったのは何故だったのでしょうか?」

 最後に口にされた名前を聞いて、ジルベールはわからぬほどに顔を赤らめた。

「そんな方々と肩を並べるにはまだ勉強が足りません」

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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