アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
だがアルム広場(place d'Armes)の前と兵舎の近くでは、違う言葉が口にされていた。
そこでは、見かけない顔の人間や、智的な顔に濁った目をした人間が、おかしな意見を撒き散らしていた。充分に衝撃的なニュースをさらに誇張し、二か月前からパリを揺るがし市外を駆り立てていた危険思想に憚ることなく訴えている。
周りには人だかりが出来ていた。困窮、苦痛、君主制に対する侮蔑を掘り返された人々が、絶望や憎しみや生命力を胸に集っていたのだ。不幸せな人々に向かって、声は言った。
「八世紀にわたって戦った結果、諸君(peuple)は何を得た? 何も。社会的な権利も、政治的な権利もない。農夫が飼っている牝牛と一緒だ。奪われた仔牛を肉屋に連れて行かれ、牛乳を市場に売られ、肉を奪われに屠殺場まで連れて行かれ、なめし屋で皮を乾かされているだけ。ついに王制も必要に迫られて譲歩し、三部会(états (généraux))に助けを求めたが、いざ三部会が召集されたら、王制は何をした? 召集したその日から三部会に圧力をかけたではないか。国民議会が成立したのなら、それは王制の意に反したことなのだ。パリの同胞たちが強力な救いの手を差し伸べてくれた以上は、我々も国民議会を後押ししよう。戦地となる政治の場に国民議会が足を一歩進めるたび、勝利がもたらされるのだ。領土は拡大し、財産は増加し、権利は保証される。進め! 進むのだ、市民よ。バスチーユは時代遅れの独裁の遺物に過ぎない! バスチーユは落とされ、残されたのは要塞だ!」
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