アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
暗がりでは別の人々が集まり、別の言葉が交わされていた。明らかに上流階級の人間だった。当人たちは庶民の恰好をして変装しているつもりだったが、白い手や典雅な抑揚はごまかせない。
「庶民諸君! あっちからもこっちからも誑かされていることも知らずに。後ろにひっくり返そうとしている奴らや、前に押し倒そうとしている奴らに、政治的な権利と社会的な権利のことを吹き込まれたんだろう。代理人を通して投票権を得て幸せになったか? 代理人を持って裕福になったか? 国民議会が法令を出すようになって飢えは減ったか? 否、政治のことも政治理論のことも字の読める人間に任せておけ。お前たちに必要なのは字に書かれた言葉でも箴言でもない。
「必要なのは一にパン、二にパン。それから子供たちの幸せ、奥さんの平穏。誰が手に入れさせてくれる? 意思が堅く、若々しい精神と、寛容な心を持った国王だ。ルイ十六世ではない。ルイ十六世は、冷たい心をしたオーストリア女の尻に敷かれている。その王とは……玉座の周りをよく見てみろ。探してみたまえ、それがフランスに幸福をもたらす人間だ。王妃が嫌悪している人間だ。何故か? その人間が不安を感じさせるからだ、フランス人を愛しているから、そしてフランス人から愛されているからだ」
こうして輿論がヴェルサイユに届き、至るところで内戦が醸成されていた。
ジルベールはこれらの集団に何度か言葉をかけてから、人々の精神状態に気づいて、何人もの衛兵に守られている宮殿に向かって、真っ直ぐ歩いて行った。誰から守っていたのだろうか? それは誰にもわからない。
衛兵がいたにもかかわらず、ジルベールは難なく一つ目の中庭を越えて玄関までたどり着いた。誰にも行き先をたずねられたりはしなかった。
牛眼の間(salon de l'Œil-de-Bœuf)まで来ると、侍衛に止められた。ジルベールはポケットからネッケル氏の手紙を取り出し、署名を見せた。侍従はそれに目を通した。命令は厳正なものであり、もっとも厳正なる命令こそもっとも判断の難しい命令であるがゆえに、侍衛はジルベールにこう言った。
「国王の許に
ジルベールは中に入った。
国王は部屋(寝室? ses appartements)ではなく、閣議の間(salle du conseil/cabinet du conseil)にいた。国民衛兵の使節団と会い、軍隊の解散及びブルジョワ民兵(une garde bourgeoise)の発足とパリへの設置を訴えられたのだ。
ルイ十六世は訴えを淡々と聞き、状況を明らかにしなければならんと答えて、状況を討議しに行った。
斯くして王は議論の最中であった。
この間、使節団は鏡の回廊(la galerie)で待ちながら、扉のすりガラス越しに、徐々に大きくなってゆく王室顧問官たちの影の動きや激しい身振りを眺めていた。
斯かる影絵芝居もどきを通して、満足すべき返答が得られないことを察することが出来た。
想像通り、国王は、ブルジョワ民兵長を任命し、シャン=ド=マルスの軍隊に退却を命じると答えるに留まった。
ブルジョワ民兵のパリ常駐については、叛乱を起こした都市が可能な限り服従するまでは、許すつもりはなかった。
使節団はとことん訴え懇願した。国王の返事は、余の心は張り裂けておるが、出来ることはこれ以上ない、というものだった。