翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 22-7

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 国王が笑みを見せた。

「医者なら傷を癒してくれ給え」

「この手で注げるだけの癒しを注ぎますし、お望みならばその傷を癒して差し上げましょう。これが答えです」

「望むなら? 決まっておろう」

「是が非でもお望みなのでしょうね」

「是が非でも望んでいるのだ」

「先へ進む前に、この囚人名簿の名前の脇に書かれてある文章をお読み下さい」

「どれだね?」国王が恐る恐るたずねた。

「ここです」

 ジルベールに見せられたページを国王は読んだ。

『王妃のご請願により……』

 国王は眉をひそめた。

「王妃だと? そなたは王妃の不興をこうむったというのか?」

「王妃陛下は国王陛下ほどにも私のことをご存じではありません」

「そうなると、何かの罪を犯したのであろう。わけもなくバスチーユに入れられたりはせぬ」

「そういうこともあるようです。私は現にバスチーユから出て来たのですから」

「どういうことだ。そなたを寄こしたのはネッケルだし、封印状に署名しているのもネッケルだ」

「その通りです」

「では考えて見給え。これまでを振り返ってみることだ。そなた自身も忘れている出来事が見つかるかもしれん」

「振り返れと仰るのですか? そうしましょう。これから申し上げます。長くはかかりませんからご安心を。十六歳の時から休みなく働いて来ました。ジャン=ジャックの生徒にしてバルサモの同志であり、ラ・ファイエットとワシントンの友人として、フランスを離れて以来、罪はおろか過ち一つ取っても、やましいところはありません。科学を学んで怪我人や病人を治療できるようになってからは、思考の一つ一つ、行動の一つ一つに対して、神に釈明を求めるべきだと考えて来ました。神から人間を任されたのですから、外科医として、人類のために血を流して来ましたし、病人を苦しみから救ったり治したりするためになら、自分の血を流す覚悟は出来ています。医師として、常日頃から精神的な援助を与え、時には物質的な援助を与えて来ました。こうして十五年が過ぎました。神はこうした努力を讃えてくれ、この手に口づけしてくれた患者の大部分が息を吹き返してくれました。死んだ者たちは神が見放し給うたのです。ですから『否』と申し上げます。フランスを離れて以来十五年、やましいところは一つもありません」

「アメリカでは改革者らと親しくし、本を書いてその主義主張を広めたではないか」

「そうでした。その業績を忘れておりました。国王や国民のためにしたまでのことです」

 国王は黙り込んだ。

「これでおわかりいただけたかと思います。王妃はもちろん乞食すら侮辱したことも傷つけたこともありませんでした。ですから、なぜ投獄されたのかを伺いに参ったのです」

「王妃に確認しておこう。封印状は王妃が直接送ったと考えておるのだな?」

「そうは申しておりません。それどころか、脇に書き込みをしただけだと考えております」

「そうであったか!」ルイ十六世が喜びの声をあげた。

「ですがこれでもう、王妃が書き込んだこともお命じになったことも、陛下はご存じになりました」

「では封印状を送ったのは誰なのだ?」

「こちらをご覧下さい」

 ジルベールが囚人名簿を差し出した。

「シャルニー伯爵夫人だと! あの人がそなたを逮捕させたというのか。そなたはいったい何をしたのだ?」

「今朝になるまでこの方の名前すら存じ上げませんでした」

 ルイ十六世は額を押さえた。

「シャルニーか! 優しく、誠実で、貞節なシャルニーか!」

「すぐにわかりますよ」ジルベールは笑い出した。「その三つの徳による請願でバスチーユに入れられてしまうんです」

「はっきりさせようではないか」

 国王が呼鈴の紐を引いた。

 取次が現れた。

「シャルニー伯爵夫人が王妃の許にいるかどうか確かめて来給え」

「伯爵夫人は只今回廊をお渡りでした。馬車のご用意をなさっています」

「では追いかけて余の部屋に来るよう伝えなさい。重要な用件なのだ」

 国王はジルベールに向かい、たずねた。

「これが望みなのだな?」

「はい。陛下には感謝の念に耐えません」

 
第22章おわり。第23章に続く

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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