翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 23-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「陛下のお許しがいただければ、伯爵夫人に先ほどの言葉を繰り返していただきたい。私を知らないと仰いましたね」ジルベールはそう応えた。

「伯爵夫人、先生の言う通りにしてもらえまいか?」

「わたくしはジルベールという医者を存じ上げません」アンドレは毅然として繰り返した。

「医者でない同名のジルベールならご存じというわけですか? 罪を犯したのはその男なんですね?」

「ええ、その男なら存じております。人間の屑です」

「陛下、私には伯爵夫人に問いただす権利はないようです。ですがその人間の屑が何をしたのか訊いていただけますか」

「伯爵夫人、然るべき質問を拒むことは出来ぬぞ」

「何をしたのかは王妃がご存じのはずです。逮捕を請う封印状に手ずからお許しの署名を下さったのですから」

「しかしだね、王妃が承知しただけでは足りぬぞ。余も承知すべきではないのか。王妃は王妃だが、余は国王なのだからな」

「陛下、封印状にあるジルベールという人間は、十六年前におぞましい罪を犯したのでございます」

「陛下、どうか伯爵夫人におたずね下さい。その男は現在何歳になるのですか」

 国王は質問を繰り返した。

「三十一、二歳です」アンドレが答えた。

「陛下」ジルベールが言い募る。「罪が犯されたのが十六年前だとするなら、罪を犯したのは大人の男ではなく少年です。十六年の間その男が子供時代の罪を悔いていたのなら、許されてもいいのではありませんか?」

「するとそなたはそのジルベールという人間を知っているのかね?」

「存じております」とジルベールは答えた。

「その若かりし日の過ちを除けばほかに過ちを犯しはしていないのだね?」

「その男がその罪を――その過ちを、とは申しません――陛下ほど寛容ではありませんから――その罪を犯した日からこのかた、非難すべき点は何一つ見当たりません」

「よくもそのようなことを。毒にペンを浸け、中傷を書いたではありませんか」

「陛下、伯爵夫人におたずね下さい。ジルベールという男を逮捕させた本当の理由は、そうすればジルベールの敵を喜ばせることが出来るからではなく、さる貴婦人の名誉を損なわせかねない書類の入った小箱を奪うためなのではありませんか」

 アンドレが全身をおののかせた。

「おお!」

「伯爵夫人、小箱とは何です?」国王の目にも、伯爵夫人の身体の震えと青ざめた顔色は明らかだった。

「さあ伯爵夫人」流れをつかんだと感じたジルベールは畳みかけた。「仄めかしや言い逃れはやめましょう。お互い嘘はもうたくさんです。僕は罪を犯したジルベール。中傷を書いたジルベール。小箱の持ち主ジルベールです。そしてさる貴婦人とはあなたのことだ。国王に判事の役をしてもらいます。同意してもらえたなら、判事である国王と神に向かって、僕らの間に起こったことを話そうではありませんか。そうすれば神の判断を待たずとも、国王が判断して下さいます」

「仰りたいことがあるのなら仰ればよいでしょう。わたくしには申し上げることは何もありませんし、あなたのことは存じ上げません」

「小箱についても知らないと?」

 伯爵夫人は拳を震わせ、青ざめた口唇から血の滲むまでぎゅっと咬んだ。

「存じません。あなたと変わらず」

 だが力を振り絞ってそれだけのことを口にするだけで、地震の揺れでぐらつく銅像のように、がくがくと足を震わせていた。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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