翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 23-4

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「いいですか、よもやお忘れではないでしょうが、僕はジョゼフ・バルサモの弟子です。あなたを襲ったあの力を受け継いでいるんです。これでようやく質問に答える気になりましたか? 小箱をご存じですね?」

「存じません」伯爵夫人は目に見えて狼狽し、部屋から飛び出そうとする素振りを見せた。「知らない、知らない、知りません」

「知らない?」今度はジルベールが青ざめる番だった。腕を振り上げ凄み、「鋼鉄のように冷たい気性も、金剛のように固い心も、ぺしゃんこになってばらばらに吹き飛んでしまえばいい。こっちには引く気はないぞ! どうあろうと話したくないのかい、アンドレ?」

「嫌、嫌!」伯爵夫人は狂ったように叫んだ。「助けてください陛下、助けてください!」

「どうせ話すことになるんだ。国王であろうと神様であろうと、僕の力の前では君を逃がすことなんて出来やしない。話すがいい。最高の証人の前で心を開くがいい。陛下、意識の襞に潜んでいることすべて、神にしか読めない魂の深奥のすべてを、隠している当人の口から明らかにして見せましょう。眠れ、シャルニー伯爵夫人。眠りに就いて口を利き給え! 命令だ」

 その言葉と共に、伯爵夫人は口にしかけていた悲鳴をぷつりと切り、腕を伸ばして萎えた足を支える場所を求めて彷徨わせると、国王の腕の中に倒れ込んだ。国王自身もよろめきながらも伯爵夫人を椅子に坐らせた。

「これは凄い」ルイ十六世が洩らした。「話には聞いていたが、実際に見るのは初めてだ。伯爵夫人は磁気催眠にかかったのだね?」

「仰る通りです。伯爵夫人の手を取って、どうして私を逮捕させたのかおたずね下さい」ジルベールが答えた。その場を仕切る権利は自分にしかないとでも言いかねない態度だった。

 ルイ十六世は驚くべき光景に圧倒され、何歩か後じさって、自分の目が覚めていることや目の前の出来事が夢ではないことを確かめた。それから改めて、新解を発見した数学者のように昂奮しながら伯爵夫人に近づき、手を取った。

「では伯爵夫人、そなたがジルベール医師を逮捕させたのだな?」

 だが伯爵夫人は眠りながらも最後の抵抗を試み、国王の手を振り払って力の限りに叫んだ。

「嫌です。話すつもりはありません」

 国王はジルベールに問いかけるような目を向けた。ジルベールとアンドレ、どちらの力が上回っているのか。

 ジルベールがにやりと笑った。

「話すつもりがないのか?」

 眠っているアンドレを睨み、椅子に向かって足を踏み出した。

 アンドレの身体が震えた。

「話すつもりはないのか?」さらに一歩進み、伯爵夫人との距離を縮めた。

 アンドレの身体が強張る。それが精一杯の反応だった。

「そうか、話すつもりがないんだな!」ジルベールは三歩目でアンドレの隣まで来ると、手を伸ばして頭上にかざした。「話すつもりはないんだな!」

 アンドレは身体をがくがくと震わせ、引き攣らせた。

「気をつけぬと死んでしまうぞ」ルイ十六世が声をあげた。

「心配は要りません。用があるのは魂だけです。今は抗っていますが、いずれ折れるでしょう」

 ジルベールは手を降ろした。

「話すがいい!」

 アンドレが腕を伸ばし、真空ポンプに吸われたように苦しそうにして、息を吸おうとした。

「話せ!」ジルベールが繰り返し、またも手を降ろした。

 アンドレの筋肉が切れそうになる。口の端に泡を吹き、今にも癲癇を起こしそうに身体中を震わせた。

「先生、まずくはないかね?」国王が口を挟む。

 だがジルベールは聞きもせず、三たび手を降ろし、伯爵夫人の頭頂部に掌を当てた。

「話せ! 命令だ」

 手を触れられたアンドレは息を吐き、腕を両脇に戻しだらりと垂らした。仰け反っていた頭が起き上がり、ゆっくりと胸に垂れ、瞼の隙間から溢れる涙がこぼれ落ちた。

「ああ神様、神様!」

「好きなだけ神にすがるがいいさ。神の名に於いておこなうんだ、神など怖くない」

「恨めしい!」

「恨むがいいさ。だが話してもらおう!」

「陛下、陛下! この者に仰って下さい。わたくしは火あぶりにされてしまいます、焼き尽くされてしまいます、殺されてしまいます」

「話せ!」

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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