翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 25-1

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

第二十五章 王妃の部屋

 国王が哲学的に革命と戦う方法を身につけ、神秘学の講義を受けているさなかのこと、王妃は王妃でまた別の確乎たる哲学を持っていたために、忠臣と呼ばれていた人々を大広間(son grand cabinet=salon des nobles 貴人の間 のことか?)に呼び集めていた。忠心を証明したり試してみたりする機会がこれまでのところまだ誰にも与えられていなかったからだろう。

 王妃のところでも、恐ろしい一日の話題で持ちきりだった。

 むしろ王妃ほど詳しい者はいなかったと言っていい。怖いもの知らずであることは知られていたので、恐ろしい事実を耳にいれることに躊躇する者もいなかった。

 王妃の周りには、将軍たち、廷臣たち、司祭たち、貴婦人たちが見える。

 戸口や、その前に吊るされたタペストリーの後ろには、勇気と熱意に溢れた若い士官たちが立ち並び、貴婦人たちを前に試合で槍の腕を競うように、このたびの叛乱こそ待ちわびていた腕を揮う機会だと考えていた。

 王家と親しくしている者も、王家に忠誠を誓った者たちも、ド・ランベスク氏(M. de Lambesc)が物語るパリの現状を聞き洩らすまいとしていた。事態を目の当たりにしたランベスク氏は、チュイルリーの砂埃にまみれたままの聯隊を引き連れて急ぎパリに舞い戻り、どんな大事件も現実より悪く捉える臆病者たちに、現実はそう悲観的なものではないと伝えに来たのだ。

 王妃は卓子の前に坐っていた。

 それはこの物語の幕開けにご覧いただいたような優しく美しい婚約者でも、フランスの守護天使でもなかった。オリーヴの枝【※平和の象徴】を手にして北の国境(ストラスブール)を越えた、あの頃の王太子妃ではなかった。ランバル公妃を連れてある晩メスメルの怪しげな住居を訪れた、あの美しく優雅な大公女でもなかった。【※『王妃の首飾り』か?】朗らかに笑って神をも恐れずあの桶のそばに坐り、未来を占いに訪れた、あの頃とは違っていた。

 否! 高慢で頑固、眉をひそめ、蔑みに口唇を歪めた王妃だった。心を巡り流れる血液に、穏やかで生命力に満ちた感覚の代わりに、胆汁の一滴を染み込ませたのを皮切りとして、愛情の居場所を明け渡してしまった女だった。

 それはヴェルサイユの回廊にある三番目の肖像画の女だった。言いかえるならば、それはもはやマリ=アントワネットでもなければフランス王妃でもなく、オーストリアの名の下に指図をするだけの女だった。

 後ろの暗がりには、若い女が何するでもなくソファの上に仰向けに寝そべり、頬杖を突いていた。

 ド・ポリニャック夫人である。

 ランベスク氏を目にした王妃が歓喜の仕種をした。――救い主が現れたわ。

 ランベスク氏は深々とお辞儀をして、汚れた軍靴と埃まみれの軍服と、曲がって鞘に収まりきらない剣のことを詫びた。

「ランベスクさん、パリからいらしたの?」王妃がたずねた。

「はい、陛下」

「パリの様子は?」

「人を殺し、火をつけていました」

「錯乱のせい、憎しみのせい?」

「もちろん残忍だからです」

 王妃は考え込み、国民に対するこの見解に同意しようとしたらしいが、やがて首を横に振った。

「国民が残酷だとは思えません。少なくとも理由もなしに残酷にはなりません。包み隠さず仰いなさい。錯乱ですか? 憎しみですか?」

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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