翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 25-2

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「申し上げます。思いますに、憎しみのあまり錯乱したのではないかと」

「誰を憎んでいるというのです? また口ごもりましたね。そんな口の利き方をなさっては、パリまでの使いを馬丁に頼まなくてはなりませんよ。行きに一時間、調査に一時間、戻るのに一時間。三時間後には、ホメロスの伝令のように包み隠さず正確に報告してくれるに違いありませんもの」

 ドルー=ブレゼ氏(M. de Dreux-Brézé。儀典長)が笑みをたたえて近づいた。

「誰を憎んでいようとよいではありませぬか。陛下には関係のないことです。国民が何を憎んでも不思議はありませんが、陛下のことだけは憎んだりはいたしますまい」

 王妃はこのおべっかに反応さえしなかった。

「さあ仰い、ランベスクさん」

「では申し上げます。国民を動かしているものは憎しみです」

「わたしを憎んでいるというのですね?」

「自分たちを支配するものすべてを、です」

「それが聞きたかったんです。そうに決まってます。ピンと来ましたもの」王妃はきっぱりと言った。

「本官は軍人ですので」

「では軍人として仰って下さい。何をすべきですか?」

「何もすべきではありません!」

「何も?」王妃の叫びは囁きに紛れた。一連のやり取りを聞いて、刺繍された服や金柄の剣(épées d'or)を身につけた取り巻きたちの間に囁きが巻き起こっていた。「何もないと言うのですか? ロレーヌ公であるあなたが、フランス王妃に向かってわざわざそんなことを言いに来たと言うのですか? お話によれば人を殺し火をつけている現場から、何もすることはないと言いに来たと言うのですか?」

 またも囁きが起こったが、今回はマリ=アントワネットの言葉に賛意を示すものだった。

 王妃は振り返って、自分を取り巻いている人の輪を見渡し、熱い眼差しの中でもとりわけ熱い炎を放っている瞳を探し、そこから最大の忠誠心を読み取ろうとした。

「何もすべきではありません!」ランベスク公は繰り返した。「落ち着くに任せておけば、パリジャンたちもいずれ落ち着くはずです。腹を立ててもいないのにむやみに好戦的なわけではありません。冷静になろうではありませんか。三日経てば、パリには何の問題もなくなるはずです」

「バスチーユのことはどう説明するのです?」

「バスチーユですか! 門を閉ざしてしまえば、占拠した者たちを閉じ込めて終わりですよ」

 静まりかえった取り巻きの中から、くすくすとした笑いが広がった。

 王妃が改めて口を開いた。

「調子に乗らないで下さいましね。あなたのおかげで安心し過ぎなほど安心できました」

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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