翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 25-6

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 周りでは、若さと自信と愛に酔いしれた男女が、華々しい軽騎兵や、武装した龍騎兵や、恐るべきスイス人衛兵や、名高い砲兵のことを口々に話題に乗せ、白木の柄のついた粗末な槍のことを、その卑しい武器の先端にフランスでも有数の貴族たちの首が戴ることになるとは思いもせずに、馬鹿にしていた。

「私は鉄砲よりも槍の方が嫌ですけどねえ」ランバル公妃が呟いた。

「そっちの方がみっともないものね、テレーズ」王妃が笑いながら切り返した。「どちらにしても怖がることはないわ。パリの槍兵であれば、モラの戦いのスイス兵ほど強くはないもの。そのスイス人衛兵も、今では槍ではなく、よく当たる鉄砲に変えてしまったわ」

「それについては保証いたします」ブザンヴァル氏が言った。

 王妃は改めてポリニャック夫人に目をやり、今の力強い言葉で落ち着きを取り戻してくれたかどうかを確かめた。だが伯爵夫人は先ほどよりもいっそう青ざめいっそう震えていた。

 王妃は友人のために威厳を投げ打つことも厭わないほど優しかったので、もっとにこやかな顔を見せてくれるようにと懇願したが、どうにもならなかった。

 伯爵夫人は打ち沈んだまま、ひどくむごいことを考えていたのだろう。

 だがその姿に悲しんでいたのは王妃だけであった。若き将校たちの間から熱狂は消えることなく、長官たちをよそに、同じ仲間としてシャルニー男爵を取り囲み、戦いの計画を立てていた。

 そんな盛り上がりのさなか、国王が供も臣下も連れずに一人で笑みを浮かべながら入って来た。

 王妃は沸き立ったばかりの感情を燃やしたまま、国王の御前に進んだ。

 国王の姿を見てすべての会話が止まり、深い沈黙が生じた。国王が言葉を発するのを誰もが待っていた。そのたった一言に心を打たれ服従しようと待っていた。

 雲がたっぷりと電気を帯びれば、ちょっとした刺戟で火を吹いてしまうものだ。

 廷臣たちの目には、歩み寄ってゆく国王と王妃が、いつ何時とも雷をほとばしらせかねない二つの危険な電気の塊に見えていた。

 誰もが耳をそばだて、身体を震わせ、国王の口から出て来る言葉を聞き逃すまいとしていた。

「さて」ルイ十六世が口を開いた。「ああした騒ぎがあったせいで、部屋で夜食を食べ損ねてしまった。ここでご一緒させてもらって構わないかね」

「ここで?」王妃が驚きの声をあげた。

「もしよければ、だが」

「でも……陛下……」

「おしゃべりを楽しんでいたのはわかるがね、食事を摂りながら余もおしゃべりに混ぜてくれぬか」

 この「夜食」という言葉を聞いて、熱狂していた者たちも落ち着きを取り戻した。だが最後に口にされた「食事を摂りながらおしゃべりに混ぜて欲しい」という言葉を聞けば、王妃とて、その冷静な言葉の裡に幾ばくかの勇気が籠められているのだと信じぬわけにはいかなかった。

 国王は落ち着いた自分を見せて、状況がどれだけ恐ろしいのかを伝えようとしたのだろう。

 さよう。マリア=テレジアの娘には、こうした瞬間に聖ルイの裔が普段通りの生活をして物質欲を満たすことにこだわっているとは信じることが出来なかった。

 マリ=アントワネットは間違っていた。国王は腹を空かせていただけだったのだ。

 
 第26章に続く…

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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