翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 26-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 マリ=アントワネットはジュール・ド・ポリニャック伯爵夫人の方を見た。

「伯爵夫人、おまえの言い分は?」

 伯爵夫人は自責に駆られたように熱い涙を流して答えたが、それで力を使い果たしてしまったようだった。

「ありがとう」王妃が言った。「どれだけ愛されているかわかって安心しました。そうね、ここにいては危険が及びます。もはや国民の怒りを止めるすべはないでしょう。正しいのはおまえたちで、わたし一人が愚かでした。離れたくないというのは献身的でありがたいけれど、応ずるわけにはいきません」

 ポリニャック伯爵夫人は美しい目を王妃に向けた。だが王妃はそこに友人としての献身ではなく、女の弱さを見て取った。

「では公爵夫人、おまえは逃げ出すことに決めたのですね?」

 王妃は「おまえ」という単語を強調した。

「その通りです、陛下」

「地所の誰かを頼って……遠く……とても遠くに……」

「ここを去って陛下とお別れするのは、五十里といえども百五十里に感じるほど辛うございます」

「まさか外国に?」

「仰る通りなのです」

 溜息が王妃の胸を引き裂いたが、口唇から外に洩れることはなかった。

「では何処に?」

「ラインのほとりです」

「ああ、ドイツ語を話せますものね」王妃は如何とも言い難い悲しげな笑みを見せた。「わたしが教えたんですもの。あなたの王妃の友情の証を、せめて役立ててもらえるなら、それで幸せです」

 それから王妃は伯爵夫人に向かい、

「おまえとお別れしたくはありません。離れたくないと言うのなら、その希望に応じましょう。でもおまえのことが心配です。どうか逃げて欲しい。いや、命令です、逃げなさい!」

 王妃は昂奮のあまりその場で固まってしまった。これまで会話に参加していなかった国王の声が耳に飛び込んで来なければ、気丈な王妃と雖もとても自制することは出来なかっただろう。

 国王陛下はデザートの最中だった。

「そなたのところに誰かいるようだぞ。報せが来た」

「そんなことより陛下」王妃の声からは、王家の威厳以外のものは捨て去られていた。「まずはご命令を。ここには三人しかおりませんが、三人とも陛下と関わりのある方ばかりです。ランベスクさん、ブザンヴァルさん、ブログリーさん(M. de Broglie)。ご命令を、陛下、ご命令を!」

 国王はとろんとした目を上げたが、躊躇っていた。

「そなたはどう思う、ブログリー殿?」

「さようですな」老元帥は答えた。「もし陛下が軍隊をパリから退かせるようなことがあれば、パリっ子どもが勝ちを収めたと言われるでしょう。このまま動かさなければ、軍隊が勝利を収めるに違いありません」

「お見事!」王妃が元帥の手を握り締めた。

「お見事!」ブザンヴァル氏も言った。

 ランベスク公だけは変わらずに首を横に振っていた。

「それでどうする?」国王がたずねた。

「進め!とお命じになるだけです」元帥が答えた。

「ええ……進め!と」王妃も和した。

「そうか、そなたたちが言うのであればそうしよう。進め!」国王も倣った。

 この時、王妃に手紙が手渡された。

『何卒結論をお急ぎなさいませんよう。陛下より謁見のお許しをお待ち申し上げます』

 王妃は手紙を裏返した。

「部屋にいるのはシャルニー殿なのですか?」

「埃まみれになっていらっしゃいました。血まみれだったとしても驚きません」お付きの侍女はそう答えた。

「ちょっと待っていていただけますか。すぐに戻って来ます」王妃はブザンヴァル氏とブログリー氏に声をかけた。

 王妃は大急ぎで部屋に向かった。

 国王は頭を動かしもしなかった。

 
 第26章終わり。第27章に続く

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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