アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
アンドレは胸を詰まらせ波打たせて、夫の動きの一つ一つを目で追っていた。
ゆっくり堂々と扉に近づいてゆく夫の足取りを、まるで祈りによって早めようとしているようだった。アンドレは意思の力で夫を部屋の外に押し出した。
だから扉が閉まって夫の姿が見えなくなると、事態に立ち向かおうとかき集めていた力のすべては消えてしまった。顔から血の気を失い、足の感覚を失くし、そばにあった椅子に倒れ込みながら、それでも礼を失したことを王妃に詫びようとあがいた。
王妃が暖炉に駆け寄り、塩壺をつかんでアンドレに嗅がせた。しかしながら今回すぐに意識を取り戻したのは、王妃の介抱が原因ではなくアンドレ自身の意思の力によるものだった。
それというのも、二人の間にはおかしな雰囲気が漂っていた。見たところ王妃はアンドレを可愛がっていたし、アンドレは王妃を敬愛していた。しかしながら、ある瞬間には、愛情深い王妃でも献身的な侍女でもなく、二人は敵同士のように見えた。
そういうわけでアンドレは強い意思の力で正気を取り戻した。一人で立ち上がって王妃の助けを恭しく断り、頭を下げた。
「申し訳ありませんが、どうか退出のお許しをいただけましたら……」
「もちろんです。いつだって好きになさい。作法など忘れて結構。だけどその前に、話すことがあるんじゃない?」
「話ですか?」
「ええ」
「わたくしにはありませんが、どういったお話でしょうか?」
「ジルベール殿の話です。姿を見て恐怖を覚えたのでしょう」
アンドレはがくがくと震え出したが、そんなことはないと首を振るに留めた。
「そういうことでしたら、もう引き留めません。自由になさい」
王妃は足を踏み出し、隣にある寝室に向かった。
アンドレは王妃に恭しくお辞儀をしてから出口に向かった。
だが扉を開こうとした瞬間、廊下に足音が響き、外側の取っ手に手が触れた。
と同時に、ルイ十六世が従者に夜間の命令を出すのが聞こえた。
「国王だわ!」アンドレが飛び退った。
「ええそうよ。どうしてそんなに怖がるの?」
「お願いです! 陛下にお会いしたくありません、陛下にこの姿をお見せしたくありません、どうか今晩だけは。恥辱のあまり死んでしまいます!」
「だったら話してくれるわね……」
「話せと仰るならすべてお話しいたします。でも今は匿っていただけませんか」
「寝室に入りなさい。陛下が立ち去ったら出て来ればいいわ。心配しないで、そんなに長く隠れていなくとも済むから。ここにはさほど長居しないでしょうから」
「ありがとうございます!」
アンドレは寝室に飛び込み、国王が扉を開いて戸口に現れた時には、姿を消していた。
国王が入室した。
第30章につづく。