翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 30-4

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「残念がれとでも? 機智も勇気も備えているが、生憎と脳みそが足りぬお坊っちゃんだ。ルイ十三世時代のめかし屋のような、フランス貴族を気取っておる。人騒がせで軽率なあまり、そなたを危険に巻き込みおった。カエサルの妻であるそなたを」

「カエサル?」王妃は切れるほど冷やかな声で呟いた。

「それともクラウディウスか? 好きな方で呼べばよい。クラウディウスはネロと同じく皇帝カエサルだったのだからな」

 王妃はうつむいた。落ち着いて歴史を持ち出されて混乱していた。

「カエサルよりもクラウディウスの方がお気に召すというのならそうするが、そのクラウディウスがヴェルサイユの門を閉めて、そなたの帰りが遅いのをたしなめたことがあったであろう。その原因を作ったのがダルトワ伯だった。叔母のことなら知っての通りだ。あれもまた皇帝カエサルの一族と言うに相応しかろう。だが何も言わんでおこう、何しろ叔母だからな。とは言え、逃げ出したとてやはり残念には思わぬ。プロヴァンス伯のことだって、余が残念がると思うかね? 逃げ出すというのなら、ご機嫌よう!だ」

「行けだなんて言わないで下さいまし」

「それはがっかりだ。ラテン語ではプロヴァンス伯に勝てぬからな、見返すには英語を話さなくてはならん。ボーマルシェの件を押しつけて来たのはプロヴァンス伯だった。ビセートルだかフォール=レヴェックだか知らぬが勝手に投獄させおって。そのうえしっかりと送り返して来よった。プロヴァンス伯は残るのか! それはがっかりだな。気づいておるのか? そなたの周りで信用できるのはシャルニー殿しかおらぬではないか」

 王妃は真っ赤になって顔を逸らした。

「シャルニー殿も逃げ出すのか? それは残念だな、行っては欲しくない」

 王妃は何も答えなかった。

「バスチーユの話に移ろうか……」国王はすぐに話を続けた。「占拠されたのを嘆いておったな」

「せめてお坐り下さい。まだまだ仰るべきことはたくさんあるのでしょうから」

「いや結構。歩きながら話す方がよい。健康のためだ。誰も気にかけてはくれぬからな。実際たらふく食べても消化が出来ぬ……今ごろ何と言われているかわかるかね? 『国王は夜食を食べたから、眠っているに違いない』と言われておるのだ。眠っているかどうかよく見給え。こうしてここで消化を助けるため立ったまま、妻と政治の話をしているのだ。そうだ、償おう!……」

「何を償うと言うのですか?」

「余が代償を払わされることになった時代の罪を償おう。ポンパドゥール夫人、デュ・バリー夫人、鹿の園のことを償おう。幾つかの独房で三十年にわたって朽ち果てて、その苦しみによって名を成した、あの哀れなラチュード(Latude)のことを償おう。それにバスチーユに憎しみを向けさせた者のことも。余は確かに馬鹿な真似をしたが、そうしておきながら他人が馬鹿な真似をするのを放っておいたのだ! 哲学者に経済学者、科学者に文学者どもの迫害に喜んで手を貸して来た。あやつらの望みは余を愛することだったというのに。愛してくれていたなら、今の世に栄光と幸福をもたらしてくれたであろうに。例えばルソー、あのサルチーヌの猪を見た日のことだ。そなたがトリアノンに呼んだ日のことだよ。ブラシもかけられていない服を着ていたのは間違いないし、髭が伸びていたのも間違いはない。だがそれでもはやり、立派な男だよ。余がゆったりとした灰色服と絹靴下を身につけていたなら、『ヴィル=ダヴレー(Ville-d'Avray)の森まで一緒に苔を探しに行かないか』とルソーに話しかけていたところだ……」

「だったらどうだと仰るの?」王妃が呆れた様子で遮った。

「だったらルソーも『サヴォワの叙任司祭』や『社会契約論』を書かなかっただろう」

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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