翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 31-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 やがて王妃は今し方アンドレから聞いたばかりの、信じがたいほどの異様な事件のことを改めて考えた。

 王妃は感嘆していた。小屋の暗がりや掃きだめの汚水の中にいた庭師の青年が、王妃と運命を共にした貴族の令嬢と運命を共にするため、運命という名の盲目の女神が持つ魔法のような計略をトリアノンの奥まで持ち込んでいたのだ。

「こうして――」と王妃は独り言ちた。「低地を彷徨っていた原子が、どうした運命の気まぐれか、遙かな高さからの引力に引き寄せられ、聖なる星の光と混じり合って一粒のダイヤになったのだろうか?」

 あのジルベールという庭師の青年は、今現在起こっていることの生きた象徴であり、王国の政治を動かすために卑しい階級から現れ出た庶民であり、フランスの上空を飛んでいた悪鬼の力や下層民が貴族や玉座に浴びせた侮辱や攻撃の力によって我知らず正体を顕した特別な役者なのではないだろうか?

 そのジルベールが医者になり、第三身分の黒服を纏い、ネッケルの助言者となり、フランス王の腹心となった。今や革命の作用のおかげで、あの夜こそ泥のように貞操を奪った女と等しくなったのだ。

 王妃は再び女として、アンドレから聞いた痛ましい話を思い出して思わず震えていた。ジルベールから目をそらさずにいることを、義務のように感じていた。神がどれだけ異様な性格を発現させることが出来るのか、それが描かれた人間の顔から読み取れるようになることを、義務のように感じていた。先ほどはあんなふうに感じていたのに、恋敵が受けた辱めに喜ぶ気持を感じていたのに、今ではこれほどまでに女を苦しめた男を痛めつけてやりたいという思いが強かった。

 怪物たちに恐怖を囁かれ、おぞましい罪を犯してフランス貴族の血に卑しい血を注ぎ込んだ気違いじみた男から、今なお目をそらさずにいようと思っただけではなく、感嘆を覚えてさえいた。恐らくはバスチーユを開放させるために革命を起こさせたこの男は、革命なくしては、平民の男が覚えていてはならないことを一生涯かけて忘れなくてはならない羽目に陥っていたことだろう。

 こうした考えに引きずられるようにして、王妃は政治問題に立ち返り、我が身に降りかかっていることすべての責任が、たった一人の頭上に積み上げられていたことを確認した。

 つまり、民衆の叛乱を導いてバスチーユを転覆させ王権を揺るがした犯人は、ジルベールだ。ジルベールが主義に従い必要に応じてビヨやマイヤールやエリーやユランのような人々の手に武器を手渡したのだ。

 ジルベールこそ、猛毒を持った危険な生き物だった。姦夫としてアンドレを破滅させた猛毒を持ち、政敵としてバスチーユ転覆の手を差し伸べるほどの危険人物だ。

 避けるためにもジルベールのことをよく知らなくてはならない。いやむしろ利用するために、よく知らなくてはならない。

 何としてのこの男と話をし、近くから眺め、自分自身で判断しなくてはならない。

 夜も三分の二を過ぎ、三時の鐘が鳴った。ヴェルサイユ庭園の木々の梢や銅像の頭頂を、曙光が白く染めていた。

 王妃は一睡もせずに夜を過ごしていた。ぼんやりとした目つきを金色の光に滲む並木道に彷徨わせた。

 うずくように重い眠気が少しずつ襲って来た。

 開いた窓のそばにある椅子の背もたれに頭を落とした。

 トリアノンを歩いている夢を見た。花壇の底からドイツ民謡に歌われているような土まみれの笑みを浮かべた地の精が現れた。ジルベールだった。ぞっとするような笑みを浮かべて、鷲づかみにするように指を伸ばした。

 王妃は悲鳴をあげた。

 別の悲鳴がそれに応える。

 その悲鳴で目が覚めた。

 悲鳴をあげたのはトゥルゼル夫人(madame de Tourzel)だった。部屋に入って来て、椅子に沈んだまま顔を歪ませ呻き声をあげている王妃を見て、悲痛と驚きを抑えることが出来なかったのだ。

「ご病気ですか? お加減が悪いのですね。医者をお呼びしましょうか?」

 王妃は目を開けた。トゥルゼル夫人の問いかけは、王妃の好奇心を癒すのに適っていた。

「お願い、医者を、ジルベール先生をお呼びして」

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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