翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 32-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「信じなくてはなりませんね。学者さんの言うことですから」

 この「学者さん」という言葉に間違えようもないほどの無慈悲な蔑みが込められているのを聞いて、今度はジルベールの目に怒りの炎が灯った。

 だがそれに打ち勝つには一瞬だけあれば充分だった。

 すぐに落ち着いた表情と何くわぬ口振りで話を続けた。

「お優しいですね。どんな学識を身につけているのかも確認なさらぬうちに、学者の免状を下さるとは」

 王妃は口唇を咬んだ。

「仰る通りあなたに学があるかどうかは知りません。皆さん仰っていることを繰り返しているだけです」

「いけません」ジルベールは恭しく告げると、深々と頭を下げた。「陛下ほどのお方が、民衆(le vulgaire)の言うことを吟味もせずに繰り返してはなりません」

「庶民(le peuple)の間違いでは?」傲然と王妃がたずねた。

「民衆です」ジルベールは毅然として繰り返した。王妃は味わったことのない衝撃に、ひどく感じやすい女心の奥底を震わせられた。

「その点はもう結構。問題にしたいのは、学があるという評判のことです。何処で学んだのですか?」

「あらゆるところで」

「答えになってません」

「では何処でもありません」

「その方がましですね。何処でも学ばなかったと?」

「お任せいたします」ジルベールは頭を下げた。「ですがあらゆるところと言った方が正確なのですが」

「きっちりと答えなさい」王妃は苛立って大声を出した。「ジルベール殿、そんな言葉で誤魔化そうとしたってそうはいきません」

 それから独り言つように、

「あらゆるところですって? そんな言葉に何の意味が? そんなのペテン師の言いぐさ、インチキ医者の言いぐさ、町医者の言いぐさではではありませんか。響きのいい言葉で納得させようとでもするつもりですか?」

 王妃はジルベールを睨みつけ、口唇を震わせ、足を踏み出した。

「あらゆるところですって? はっきりと仰い、ジルベール殿」

「あらゆるところと申しました」ジルベールは動ぜず答えた。「実際にあらゆるところで学んだのです。あばら屋でも宮殿でも、都会でも田舎でも、人類のことも動物のことも、自分のことも他人のことも、学問を愛する人間ならそうするように、学問のある場所なら何処ででも学ぼうとする人間ならそうするように、つまりあらゆるところで学んだのです」

 打ちのめされた王妃はジルベールを鋭い目つきで睨んだが、ジルベールも頑として動じずに睨み返していた。

 王妃はぴくぴくと震え、後ろに退って丸テーブルをひっくり返した。テーブルにはチョコレートの注がれたセーヴル焼きの器が載っていた。

 ジルベールはテーブルが倒れるのを目にし、器が割れるのを目にしたが、動こうとはしなかった。

 王妃の顔に赤みが差した。冷たく湿った手を火照った額に押しつけ、伏せた目を改めてジルベールに向けようとしたが、果たせなかった。

 ただし傲慢ではなく軽蔑しているからだと自分に言い聞かせながら。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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