翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 32-4

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「誰の許で学んだのです?」王妃は先ほどの続きから話を再開させた。

「これ以上陛下を傷つけないようお答えするにはどうしたらいいか……」

 王妃はこの機会を捉えてライオンのように飛びついた。

「傷つけるですって? わたしを傷つける? 何が言いたいのです? 王妃を傷つけるとは! 間違いを犯しておいでね、ジルベール先生。医学ほどきちんとしたところでフランス語を学んで来なかったようですね。わたしのような地位にある人間は傷つけられたりはしない。うんざりさせられるだけです」

 ジルベールはお辞儀をして扉に足を向けたが、顔にはどんな小さな怒りの跡も苛立ちの徴も見出せなかった。

 反対に王妃は地団駄を踏んで、ジルベールを引き留めようとでもするように身を躍らせた。

 ジルベールはそれに気づいて、

「失礼しました。仰る通り致命的な間違いを犯してしまいました。医者として病人の前に呼ばれていることを失念しておりました。お許し下さい。二度と忘れはいたしません」

 それから改めて、

「陛下は神経性の発作を起こしそうになっていらっしゃいます。どうか発作に溺れませぬよう。じきに自由が利かなくなってしまいます。そうなると脈が途切れ、血が心臓に押し寄せます。ひどい痛みに襲われ、じきに息が詰まってしまいますから、念のため侍女を一人呼び寄せておくべきかと愚考いたします」

 王妃は部屋を一回りして腰を下ろした。

「ジルベールと仰るのですね?」

「ジルベールと申します」

「おかしなことですね。若い頃のことを思い出しました。若い頃の記憶は何故か鮮烈なものですもの、その話をすれば、あなたをひどく傷つけることになるでしょうね。構いやしません。傷ついても、ご自分で治せるんですから。学のあるお医者様であるうえに、立派な哲学者でいらっしゃるようですもの」

 王妃は皮肉に満ちた笑みを浮かべた。

「仰る通りです。どうか笑みを浮かべ、皮肉を口にして少しずつ神経をなだめて下さい。そのようにして自制できるのは、智的な方だけに許されたことなのです。どうか落ち着いて下さい、ただし無理はしませんように」

 親切で物柔らかな指示を聞いて、王妃はそこに強い皮肉が込められているのを感じながらも、背くことが出来なかった。

 ただし王妃はやりかけた攻撃の手をゆるめたりはせずに繰り返した。

「お話しするのはこんな記憶です」

 ジルベールは拝聴の印にうなずいた。

 王妃は勇を鼓して視線をぶつけた。

「王太子妃だった頃、わたしはトリアノンで過ごしていました。トリアノンの花壇には、真っ黒で土まみれのしかめ面をした青年がいて、小さなジャン=ジャックといったその青年は、節くれ立った小さな手で草を毟ったり土を耕したり虫を取ったりしていました。その青年の名がジルベールと言いました」

「それは私です」ジルベールは冷静に答えた。

「あなただったのですか?」マリ=アントワネットが憎しみを爆発させた。「ではわたしが正しかったのだ! あなたは教育を受けた人間ではなかったのだ!」

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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