翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 32-6

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 だが激しい感情がジルベールの顔に現れていたのは長い時間ではなかった。ジルベールは、勝利に喜びしれ無防備に見つめている王妃に近づいて行った。

「陛下はきっとお間違えです。陛下がお話しになった科学者たちについて、その学術的成果である催眠の力をお疑いになるのは間違っていらっしゃいます。あれは催眠磁気による犠牲者ではなく被験者なのですから。分けても、探求する権利にお疑いを挟むのは間違っていらっしゃいます。ひとたび原理が世に知られ法則化されるや世界を変えるような発見を、ありとあらゆる手を用いて追い求めるのは、当然の権利なのですから」

 王妃に近づきながら、ジルベールは見つめ返した。アンドレに発作を起こさせ屈服させたあの意思の力をみなぎらせて。

 ジルベールに近づかれて、王妃は全身の血管が怖気づくのを感じた。

「おぞましい! いかがわしく邪悪な経験を濫用して魂や肉体を貶める者たちなど恥辱にまみれてしまえばいい!……カリオストロなど一敗地にまみれてしまえばいい!……」

「陛下」ジルベールの言葉には揺らぎがなかった。「人間の犯す過ちをそんなに厳しく裁くものではありません」

「何ですって!」

「人間は間違いを犯してしまうものです。人間は人間を傷つけるものなのですから、一人一人が我が身を守り治安を形作っていなければ、世界が大きな戦場になるだけです。最良の人間とは善良な人間です。悪いところのないのが最良の人間だと言う人もいるでしょう。判事の心が気高いほど、寛容の心は大きいものです。玉座という高みに坐します陛下には、他人の過ちを他人ひとより厳しく裁くご権限がございません。地上の玉座の上では、至高の寛容をお与え下さい。天上の玉座に坐します神が至高の慈悲を賜りますように」

「わたしはあなたとは違う見方で、自分の権利や義務を見ています。わたしは人を罰し人に報いるために玉座の上にいるのです」

「そうは思いません。それどころか、女であり王妃である陛下が玉座の上にいらっしゃるのは、人の間を取り持つためであり、許しを与えるためです」

「まさか説教をなさっているわけではありませんよね」

「もちろんです。ただ陛下のご質問に答えただけのこと。例えば先ほど陛下が口になさってその科学にお疑いを挟みましたカリオストロのことで覚えていることがあるのですが――トリアノンの話よりもさらに以前の話です――タヴェルネ邸の庭で、フランス王太子妃にその科学の証拠を披露したことがございました。妃殿下がその記憶を深く仕舞い込まねばならなかったことはお察しいたします。と申しますのも、証拠を目にされた妃殿下はひどい衝撃を受けていらっしゃいましたから。気を失うほどの強い衝撃を」

 攻撃するのはジルベールの番だった。出任せの攻撃ではあったものの、その出任せが見事に当たって、王妃の顔は死人のように青ざめた。

「そうです」王妃の声はしわがれていた。「あの男は恐ろしい機械仕掛けが出てくる夢を見せたのです。けれど今日の今日まで、あの機械が実在するのを見たことはありません」

「陛下が夢で何をご覧になったのかは存じません」ジルベールは王妃にもたらした結果に満足して言った。「ただ存じ上げているのは、同胞であるほかの人間に対してそうした力を行使する人間には、科学者という肩書きに疑いを差し挟む余地などないということです」

「同胞ですか……」王妃は馬鹿にしたように呟いた。

「間違っていても構いません。その力は、恐怖という軛によって、この世の王族や貴族たちの頭を同じ高さに下げることが出来れば、さらに大きくなるのです」

「おぞましい! もう一度言います。人の弱さや騙されやすさにつけ込むような者たちは、恥辱にまみれてしまえばいい」

「おぞましい? 科学を用いる者たちのことを、そう仰いますか?」

「絵空事や欺瞞ばかりの卑劣漢です!」

「何と仰いました?」ジルベールは表情を変えなかった。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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