翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 32-8

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「あなたが良心の中に何を見たのか、わたしにははっきりとわかっていると思いませんか?」

「陛下が何を仰ろうとしているのかは存じませんが、仰りたいことはわかります。私ほどの年齢の人間が、いったい何度、神に背かなければならなかったか?」

「選りにも選って、あなたが神の名を口にするのですか!」

「ええ」

「あなたが?」

「いけませんか?」

「哲学者が? 哲学者が神を信じているのですか?」

「神の名を口にし、神を信じております」

「出て行く気はないと?」

「飽くまで留まります」

「いい加減になさい」

 王妃の顔が恐ろしい凄みを帯びた。

「よく考えてのことです。考えた結果、自分には人に劣るところがあるわけではないと判断したのです。人は誰もが罪を抱えています。本を繙くのではなく、他人の良心を繙くことで、そうした真理を学んだのです」

「普遍にして無謬の?」王妃が嫌味を利かせてたずねた。

「普遍にして無謬ではないにしても、人間の不幸についてよく知り、つらい苦しみを身を以て知っております。陛下の目に宿る虚ろな丸い瞳や、陛下の眉に一つ一つ広がってゆく線や、陛下の口の端を歪ませる畝――散文的な言い方をすれば皺という皮膚の縮み――をただ見さえすれば、これは間違いのないこと。陛下がどれだけの厳しい試練を受けて来たか、どれだけ苦悶に打たれて来たか、陛下の心がどれだけの回数裏切りに気づくために信頼を捨てて来たか。お望みとあらばすべて申し上げて見せましょう。否定されることは絶対にありません。読み取る能力のある目を、読み取りたい相手に向ければいいのです。この目の重みを陛下が感じたなら、水深用の錘が海溝に垂れるように探求の錘が心の奥底に入り込まれていると感じたなら、陛下もおわかりになることでしょう。私には何だって出来るのです。私がその力を止めてみれば、私に戦いを挑んだりはせずに感謝するに違いありません」

 その言葉は強い挑発の意図に満ちていた。男から女に向けられた、王妃の御前にも関わらずあらゆる礼儀作法を度外視したその言葉を聞いて、マリ=アントワネットは言語に絶するような衝撃を受けた。

 目の前に靄がかかり、頭の中は冷えて固まり、憎しみは怯えに変わり、両手は垂れ下がって動かず、見知らぬ危険が近づくのから逃げるように、自分が後じさるのを感じた。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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