翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 37-4

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 その後で国王は出発を命じた。

 だが動き出す前に国王は護衛隊を退らせ、選挙人とバイイ氏の演説によってパリ市が表明したささやかな礼儀に対し、底意のない信頼があることを示して応えた。

 すぐに国民衛兵と野次馬でごった返す中、馬車だけが先ほどよりも速い速度で前に進んだ。

 ジルベールとビヨは馬車の右側から離れずについて行った。

 馬車がルイ十五世広場を通り過ぎていた瞬間、セーヌの対岸から銃声が轟き、白い煙が香烟のように青い空に立ち上り、すぐに見えなくなった。

 あたかも銃声に揺さぶられたように、ジルベールは激しい衝撃に打たれるのを感じていた。一瞬だけ息が止まり、鋭い痛みを感じて胸に手を当てた。

 同時に苦しげな悲鳴が馬車のそばであがった。女性が一人、右肩の下を撃たれて倒れている。

 ジルベールの服のボタンは、当時の流行に従い、黒く大きな鉄にカットが施されていたが、そのボタンにぶつかった弾丸が斜めにはじかれたのだ。

 ボタンが鎧の役目を果たし、弾丸を逸らした。それがジルベールの感じた痛みと衝撃の原因だった。

 黒いジレと胸飾りの一部がなくなっていた。

 ジルベールのボタンにぶつかって逸れた弾丸が、不幸な女性を殺したのだ。瀕死の女性は血塗れになって運ばれて行った。

 国王にも銃声は聞こえたが、何一つ目にはしなかった。

 国王はジルベールに顔を寄せて微笑んだ。

「余のために向こうで火薬を鳴らしてくれているようだね」

「そのようです」

 ジルベールはそう答えたものの、先ほどの歓迎の意味に対する自分の考えを国王には伝えぬよう気をつけた。

 だが心の中では、王妃の恐れが少なからず正しかったのだと呟いていた。馬車の扉をぴったりと塞いでいるジルベールがいなければ、弾丸は鉄のボタンにはじかれることなく、真っ直ぐ国王のところに届いていただろう。

 いったい何者によってこのような正確な射撃がおこなわれたのだろうか?

 その時、知ろうとする者はいなかった……そのため永遠に明らかになることはないだろう。

 ビヨは真っ青になり、ジルベールの服(l'habit/coat)とジレと胸飾りの裂け目から目を離せずにいた。ビヨはピトゥに、さらに大きな声で「フランス人の父万歳」と叫ぶように促した。

 もっとも、並々ならぬ事態のさなかだったため、このささやかな事件は瞬く間に忘れ去られた。

 こうして遂にルイ十六世は市庁舎に到着した。ポン=ヌフで受けた祝砲には、少なくとも砲弾は入っていなかった。

 市庁舎の正面には大きな文字の銘文が記されている。日中は黒ずんでいるものの、夜になれば透明に明るく輝いて見えた。

 この銘文は市庁舎の人間が苦労して作ったものだ。

 銘文には次のように書かれていた。

『フランス人の父にして自由市民の王、ルイ十六世に』

 バイイの演説とはまた違った極めて意義深い対句表現に、広場に集まっていたパリ市民が称讃の叫びをあげていた。

 この銘文がビヨの目を惹いた。

 だがビヨは字が読めなかったので、ピトゥに読んでもらった。

 一度だけでは聞こえなかったかのように、ビヨは二度も繰り返させた。

 だからピトゥは一字一句違えずにその文章を繰り返した。

「そう書いてあるのか? そうなんだな?」

「そうです」ピトゥが答えた。

「市の奴らが、国王は自由市民の王だと書かせたのか?」

「ええ、ビヨさん」

「国民に自由があるというのなら、国民には国王に徽章を渡す権利があるんじゃないか」

 そう言ったかと思うと身を躍らせ、市庁舎の階段前で馬車を降りていたルイ十六世の前に飛び出した。

「陛下、ポン=ヌフにあるアンリ四世像に国民の徽章がつけられているのをご覧になりましたか?」

「うん?」

「いいですか! アンリ四世が国民の徽章を身につけているなら、あなただって身につけていいはずです」

「そうだな」ルイ十六世は困った顔を見せた。「持っていれば余とて……」

「そんなことですか」ビヨは声を荒らげ、手を持ち上げた。「でしたら国民の名に於いて、あなたの徽章の代わりに、あたしのを差し上げますよ、お受け取り下さい」

 バイイが割って入った。

 国王は青ざめた。事態が進んでいるのを実感し始めたのだ。答えを求めるようにバイイを見つめた。

「陛下、これがフランス人を象徴する徽章なのです」バイイが言葉をかけた。

「そういうことなら受け取ろう」国王はビヨの手から徽章をつかみ上げた。

 白い徽章は外さずにおいたまま、三色の徽章を帽子に取りつけた。

 巨大な勝鬨が広場に轟いた。

 ジルベールは深く傷ついたように顔を背けた。

 国民がこれほどまでに素早く踏み込み、国王が何ら抵抗しなかったことに気づいていた。

「国王万歳!」というビヨの声が、二度目の喝采の合図となった。

「国王は死んだ」ジルベールが呟いた。「もはやフランスに王はいない」

 国王が馬車から降りた地点から出迎えられた部屋まで、幾つもの剣が掲げられて鋼のアーチが出来ていた。

 ルイ十六世はこのアーチの下をくぐり、市庁舎の奥に消えた。

「これは勝利のアーチじゃない。カウディウムの槍道(les fourches Caudines)だ」【※古代ローマにて、カウディウムの隘路で敗北を喫したローマ軍が、槍でできたアーチの下を歩かされた故事による】

 ジルベールは溜息をついた。

「王妃は何と仰るだろう」


 第37章終わり。第38章に続く。

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