翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 38-2

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 シャルニーが近づくと、ラ・ファイエットが手を差し出した。その結果シャルニーと馬は群衆の手で今までいた場所から河岸まで押し流された。河岸には国民衛兵の厳格な指示の許、国王の通り道に人垣が出来ていた。

 国王の命令は、来た時と同じように並足で馬車をルイ十五世広場まで進ませよ、というものだった。広場には国王のお戻りを待ちわびていた護衛隊が見えた。待ちわびていたのは誰もが同じであったので、広場を過ぎてからは馬も速度を上げ、ヴェルサイユに向かうにつれてどんどん速くなって行った。

 ジルベールは窓の手すりから将校の到着を認めていたが、それが誰であるのかはまったくわからなかった。如何ほどの苦しみを王妃が受け取ることになるのか、ジルベールはそのことを考えていた。三時間前からは疑われることもやましさを見せることもなく人込みを抜けてヴェルサイユに伝令を送ることは不可能だったのだから、王妃の苦しみはなおさらであろう。

 そうは言うものの、ジルベールが危ぶんでいたのは、ヴェルサイユで起こっていたことのうちささやかな部分(une faible partie/a faint idea)でしかなかった。

 読者諸兄にはヴェルサイユにお戻りいただくことにしよう。長々と歴史の講義なぞさせる気はない。

 王妃が国王からの伝令を最後に迎え入れたのは三時であった。

 ジルベールは伝令を送る方法を、国王が鋼のアーチの下を通って市庁舎に入った瞬間に見つけていたのだ。

 王妃のそばにはシャルニー伯爵夫人アンドレがいた。気分が優れないため昨日から潜り込んでいたベッドを、抜け出て来たばかりであった。

 顔色はまだかなり悪い。目を上げるのもやっとだった。苦しみのためか恥ずかしさのためか、瞼は重たげに伏せられたままだった。

 王妃はシャルニー伯爵夫人に気づいて微笑みかけたが、近しい者たちには、王族が口許に浮かべる形式的な微笑みにしか見えなかった。

 それでも王妃はルイ十六世が安全であると確認できたために、まだその喜びの昂奮が治まらないような態度を見せていた。

「今度もいい報せだといいわね」王妃は周りの者たちにこぼした。「今日一日がこうして過ぎてゆけばよいのだけれど」

「心配なさり過ぎです。パリの者たちも自分たちがどのような責任を負っているかは重々承知しておりますとも」

「でも陛下」と別の廷臣(courtisan)が半信半疑でたずねた。「報せが間違いなく本物だと思ってらっしゃいますか?」

「もちろんです。報せを送っている者が国王の安全を誓ったのです。そもそもその方は友人ですから」

「その方が友人だというなら、話は違いますね」その廷臣が頭を下げた。

 近くにいたランバル夫人がそばに寄った。

「新しく国王の侍医になった者のことですね?」

「ええ、ジルベールよ」王妃は何の気なしに答えた。それが周りに恐ろしい衝撃を与えるとは考えもしなかった。

「ジルベール!」アンドレが叫び声をあげ、心臓を蝮に咬まれたかのようにがくがくと震え出した。「ジルベールが、陛下の友人だと仰るのですか!」

 アンドレが王妃を見つめた。怒りと恥に瞳をたぎらせ、手を握り締め、面と向かって非難の眼差しと態度をぶつけた。

「でも……だけど……」王妃は口ごもった。

「陛下!」と呟くアンドレの声には、より強い非難の色が見えた。

 死のような沈黙が生じて、その不可解な事態を取り囲んだ。

 その沈黙のさなか、控えめな足音が隣室の床を鳴らした。

「シャルニー殿ね!」王妃が小声で呟いた。自分がもう落ち着いたことををアンドレに知らせようとでもするかのように。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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