翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 38-4

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「わたしだって――」と王妃は続けた。「今のあなたと同じ気持を感じてるんです。嫉妬と不安を持ってるんです」王妃は嫉妬という単語を強調した。「国王はパリにいてもう会えないんですから」

「ですが陛下」シャルニーは降り注ぐ風雨にだんだんと稲妻と雷電が帯びられつつあることにまったく気づかなかった。「陛下は国王からの便りを受け取ったばかりではありませんか。あれは良い報せだったのですから、陛下も安心なさったはずです」

「先ほど伯爵夫人とわたしに事情を説明されて、あなたは安心していたかしら?」

 シャルニーが口唇を咬んだ。

 アンドレが驚きと怯えを見せながら少しずつ顔を上げていた。驚いたのは耳にしたことのためであり、怯えたのは理解したつもりのことのためだ。

 先ほどはシャルニーの最初の質問に対しアンドレによって作られた沈黙が、今度は王妃の言葉を待つ廷臣たちによって作られていた。

「当然です」王妃の声は何処か怒っているようだった。「愛している相手のことしか考えられないのは、人を愛する者にとっては避けられないことだもの。胸が押し潰されそうになりながらすべてを捧げている者には、それがどれだけの慰みになることか。ええそう、胸を掻き乱すような感情のすべてを捧げているんです。わかりますか? 国王のことが心配でならないんです!」

「陛下」廷臣の一人が思い切って口を挟んだ。「これからも次々と伝令がやって来るはずです」

「嗚呼! どうしてわたしはパリにいないでこんなところにいるんでしょう? 国王のおそばにいないんでしょう?」王妃は気づいていた。王妃自身が感じていた激しい嫉妬心をシャルニーにもぶつけようとしてからというもの、シャルニーが狼狽えていることに気づいていた。

 シャルニーが深々と頭を下げた。

「それだけのことでしたら、私がパリに参ります。陛下がお考えのように国王の安全が脅かされ、国王の首が危険に晒されているのであれば、この私が幾度となく自分の首を晒したことでしょう。では参ります」

 シャルニーはお辞儀して実際に足を踏み出した。

「お待ち下さい!」アンドレが叫んでシャルニーの前に飛び出した。「お命を粗末になさってはいけません!」

 もはやいつ何時アンドレが恐怖の発作を起こしてもおかしくなかった。

 いつも冷静なアンドレとは思えぬほどの取り乱しようを目にし、ついぞ見られなかった心遣いの言葉が洩れたのを耳にした王妃は、目に見えて顔色を変えた。

「それは王妃の役目ですよ、どうしてお奪りになるの?」王妃がアンドレに声をかけた。

「わたくしですか」アンドレが口ごもった。長いこと心を燃やしていた炎が初めて口唇からほとばしったことを自覚していた。

「わかりませんか? そなたの夫君は国王に仕えていて、国王のところに向かおうとしているのです。危険に身を晒すのは国王のためであり、ことは国の務めだというのに、そなたはシャルニー殿の身を案じているのですよ!」

 そうした激しい言葉をぶつけられて、アンドレは落ち着きを失くし、よろめいて床に倒れそうになった。シャルニーが駆け寄って腕で支えなければ、実際に倒れていたことだろう。

 シャルニーが怒りの衝動を抑えきれなかったのを見て、マリ=アントワネットはすっかり絶望してしまった。自分はただの心破れた恋敵だと思っていたのに、不当な君主だったというわけか。

「王妃の仰る通りだ」ようやくのことでシャルニーはそう言った。「君の言動は軽率だった。夫だからなんて言っている場合じゃない、ことは国王の利害に関わるんだ。僕のために不安を感じてくれたんだと、それがわかっていても、そうした感受性は仕舞っておくべきだと真っ先に君に意見するのも僕の務めだろう」

 それからマリ=アントワネットに向かい、

「王妃の仰せのままに」と事務的な言葉を伝えた。「では出かけて参ります。この私が国王の報せを持って帰って参りましょう。必ずや良い報せを。そうでなければ持って帰る報せなどありません」

 そう言ったかと思うと、深々とお辞儀をして、恐怖と怒りに打たれた王妃が引き留めようとするいとまも与えず、立ち去ってしまった。

 それからすぐに、馬の蹄鉄が中庭の石畳をギャロップで駆け出してゆく音が響き渡った。

 王妃は身じろぎもしなかったが、内心では激しく動揺していた。動揺を隠そうと懸命になればなるほど動揺はますます大きくなっていた。

 王妃の動揺の原因を理解していたにしろしていなかったにしろ、廷臣たちは少なくとも王妃の平安を尊重して、一人また一人と立ち去った。

 王妃は一人残された。

 アンドレも一緒に部屋を出て、王妃のことは二人の子供に慰めてもらうことにした。王妃から請われて連れられて来たところだった。

 
 第38章終わり。第39章につづく

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