翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 41-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「さっさと殺してくれ!」フーロンが声を絞り出した。

 その間中、バイイとラファイエットは、祈り、願い、叫びながら、人込みを突破する方法を探していた。だがあろうことか、またもやフーロンが綱の先に吊るされ、またもや綱が切れた。二人の祈り、二人の願い、二人の苦しみは当人にも劣らぬほど痛ましいものだったが、二度目の落下を歓迎する人々の笑い声の中に紛れ、薄れ、混じり合ってしまった。

 バイイとラファイエットは、三日前にはパリ市民六十万人の意思を具現化した代理人だった――それが今では、聞く耳さえ持たれないただの子供だった。囁きが聞こえる。あいつらは邪魔だ。あいつらはせっかくの見物を台無しにしてしまう。

 ビヨの体力も役には立たなかった。二十人を投げ飛ばしたが、フーロンのいるところまでは、五十人、百人、二百人投げ飛ばさなくてはならなかった。もう限界だった。立ち止まって額から流れる汗と血を拭った時、フーロンが三たび街灯に吊るされるのが見えた。

 さすがに哀れに思ったらしく、今度の綱は新しかった。

 遂に罪人は死んだ。もう苦しむことはない。

 街灯から落とされた死体が地面に届くことはなかった。そうなる前に八つ裂きにされた。

 一瞬にして首が身体から離れ、槍の先に掲げられた。敵の首をそんな風に晒すのが当時の流行りだった。

 これを見てバイイが肝を潰した。まるで神話のメドューサの首だ。

 ラファイエットは青ざめて剣を手にしたまま、非力だったことを弁解しようとしていた衛兵たちを忌々しげに押しのけた。

 ビヨはペルシュ馬のように力強く、憤然として足を踏み鳴らし、そこら中を蹴りつけてから市庁舎に戻った。広場で繰り広げられている血塗れの惨劇をこれ以上見るつもりはない。【※fougueux chevaux du Perche percheron(ペルシュ馬)は、力が強い種。】

 人々の復讐に喝采を送っていたピトゥも今ではひくひくと震え、川べりの土手にたどり着くと目を閉じて耳を塞いだ。もう目や耳に何も入れたくなかった。

 悲嘆が市庁舎を覆っていた。選挙人たちも理解し始めていた。これからは民衆を導こうとするなら、民衆の望む方向に導くしかない。

 逆上した人々がフーロンの首なし死体を川まで引きずって辱めている時、また新たな叫び声が橋の向こうから轟いて来た。

 伝令が飛んで来た。携えて来た報せの内容は、そこにいる者たちにはとうにわかっていた。頭の切れる者たちから囁かれていたからだ。猟犬の群れのように、優秀な猟犬の跡をたどるだけでよかった。

 人々は伝令を取り囲んだ。新たな獲物を見つけたのだ。ベルチエのことを伝えに来たのだと嗅ぎつけたのだ。

 間違いなかった。

 口々に問いつめられた伝令が口を割った。

「ベルチエ・ド・ソーヴィニー氏がコンピエーニュで捕まりました」

 それから市庁舎に入り、ラファイエットとバイイに同じことを伝えた。

「ああ、わかっていた」ラファイエットが言った。

「ああわかっていた」バイイが言った。「だから向こうで身柄を預かるよう指示は出してある」

「向こうで身柄を?」伝令が鸚鵡返しにたずねた。

「そうだとも、役員二人に護衛をつけて行ってもらった」

「二百五十人の護衛ですね? それならばお釣りが来る」選挙人が言った。

「それが実は、お伝えに来たのはそのことなのです」伝令が言った。「護衛は追い散らされ、ベルチエ氏は攫われてしまいました」

「攫われた? 護衛は何をしていたんだ?」ラファイエットが声を荒げた。

「護衛のことを責めないでいただけますか。出来ることはすべておこなったのです」

「それでベルチエ氏は?」バイイの声には不安が滲んでいた。

「パリに連れて来られている最中です。今はブルジェ(Bourget)にいます」【※Bourget パリ郊外北東】

「しかし、ここに連れて来られたら殺されてしまうぞ!」バイイが声をあげた。

「直ちにブルジェに五百人向かわせ給え。役員二人とベルチエ氏にはそこで留まって夜を過ごしてもらおう。その間に我々で善後策を講じるとしよう」

「しかしそうしますと、誰がそれを伝えに行くことになるのでしょうか?」伝令は怯えた顔をして窓の外を見た。外ではうねり狂う波の一つ一つが死を呼ぶ声をあげていた。

「俺が行く!」ビヨが叫んだ。「あの人を助けるんだ」

「殺されてしまいますよ」伝令が悲鳴をあげた。「道じゅうが人で真っ黒なんですから」

「無駄だよ」耳を澄ませていたバイイが呟いた。「あれを聞き給え!」

 サン=マルタン門の方から、海岸の砂利に打ち寄せる波のような音が聞こえていた。

 薬缶から洩れる湯気のように、怒りの声が各戸から洩れていたのだ。

「間に合わなかった!」ラファイエットが叫んだ。

「近づいて来る!」伝令が声を洩らした。「聞こえますか?」

「聯隊を呼ぶんだ!」ラファイエットが非常にラファイエットらしい人間味のある発言をした。

「畜生!」バイイが恐らく生涯で初めて暴言を吐いた。「お忘れですか? 我々の軍隊というのは、今まさに鎮圧しようとしている当の相手のことなのですよ」

 そう言ってバイイは両手で顔を覆った。

 遠くから聞こえていた叫び声が、路地にたむろしていた人々から、広場にたむろしている人々に、導火線のように瞬く間に広まっていた。

 
 第41章おわり。第42章につづく。

スポンサーサイト

コメント

Page Top▲

コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

Page Top▲

トラックバック

Page Top▲

PROFILE

東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 名前:東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 本好きが高じて翻訳小説サイトを作る。
  • 翻訳が高じて仏和辞典Webサイトを作る。

  • ロングマール翻訳書房
  • RSS
  • 05 | 2017/06 | 07
    S M T W T F S
    - - - - 1 2 3
    4 5 6 7 8 9 10
    11 12 13 14 15 16 17
    18 19 20 21 22 23 24
    25 26 27 28 29 30 -

    SEARCH

    RECENT ENTRIES

    CATEGORY

    RECENT TRACKBACKS

    RECENT COMMENTS

    ARCHIVES

  • 2017年06月 (3)
  • 2017年05月 (5)
  • 2017年04月 (4)
  • 2017年03月 (4)
  • 2017年02月 (4)
  • 2017年01月 (4)
  • 2016年12月 (5)
  • 2016年11月 (4)
  • 2016年10月 (5)
  • 2016年09月 (4)
  • 2016年08月 (4)
  • 2016年07月 (5)
  • 2016年06月 (4)
  • 2016年05月 (4)
  • 2016年04月 (5)
  • 2016年03月 (4)
  • 2016年02月 (4)
  • 2016年01月 (5)
  • 2015年12月 (4)
  • 2015年11月 (4)
  • 2015年10月 (5)
  • 2015年09月 (4)
  • 2015年08月 (5)
  • 2015年07月 (4)
  • 2015年06月 (4)
  • 2015年05月 (5)
  • 2015年04月 (4)
  • 2015年03月 (4)
  • 2015年02月 (4)
  • 2015年01月 (4)
  • 2014年12月 (4)
  • 2014年11月 (5)
  • 2014年10月 (4)
  • 2014年09月 (4)
  • 2014年08月 (5)
  • 2014年07月 (4)
  • 2014年06月 (4)
  • 2014年05月 (4)
  • 2014年04月 (4)
  • 2014年03月 (5)
  • 2014年02月 (4)
  • 2014年01月 (3)
  • 2013年12月 (4)
  • 2013年11月 (5)
  • 2013年10月 (5)
  • 2013年09月 (5)
  • 2013年08月 (4)
  • 2013年07月 (4)
  • 2013年06月 (5)
  • 2013年05月 (5)
  • 2013年04月 (4)
  • 2013年03月 (5)
  • 2013年02月 (4)
  • 2013年01月 (4)
  • 2012年12月 (5)
  • 2012年11月 (3)
  • 2012年10月 (4)
  • 2012年09月 (5)
  • 2012年08月 (4)
  • 2012年07月 (4)
  • 2012年06月 (5)
  • 2012年05月 (4)
  • 2012年04月 (4)
  • 2012年03月 (6)
  • 2012年02月 (4)
  • 2012年01月 (2)
  • 2011年12月 (4)
  • 2011年11月 (5)
  • 2011年10月 (6)
  • 2011年09月 (5)
  • 2011年08月 (5)
  • 2011年07月 (5)
  • 2011年06月 (4)
  • 2011年05月 (4)
  • 2011年04月 (5)
  • 2011年03月 (5)
  • 2011年02月 (7)
  • 2011年01月 (5)
  • 2010年12月 (5)
  • 2010年11月 (4)
  • 2010年10月 (5)
  • 2010年09月 (5)
  • 2010年08月 (4)
  • 2010年07月 (5)
  • 2010年06月 (4)
  • 2010年05月 (5)
  • 2010年04月 (5)
  • 2010年03月 (9)
  • 2010年02月 (5)
  • 2010年01月 (5)
  • 2009年12月 (5)
  • 2009年11月 (5)
  • 2009年10月 (5)
  • 2009年09月 (4)
  • 2009年08月 (5)
  • 2009年07月 (4)
  • 2009年06月 (4)
  • 2009年05月 (5)
  • 2009年04月 (4)
  • 2009年03月 (5)
  • 2009年02月 (3)
  • 2009年01月 (5)
  • 2008年12月 (4)
  • 2008年11月 (5)
  • 2008年10月 (4)
  • 2008年09月 (4)
  • 2008年08月 (3)
  • 2007年06月 (5)
  • 2007年05月 (3)
  • 2007年04月 (3)
  • 2007年02月 (4)
  • 2007年01月 (3)
  • 2006年12月 (1)
  • 2006年11月 (2)
  • 2006年10月 (1)
  • 2006年09月 (6)
  • 2006年08月 (13)
  • 2006年07月 (6)
  • 2006年06月 (10)
  • 2006年05月 (2)
  • 2006年04月 (4)
  • 2006年03月 (3)
  • 2006年02月 (11)
  • 2006年01月 (10)
  • 2005年12月 (14)
  • 2005年11月 (17)
  • 2005年10月 (3)
  • 2005年09月 (27)
  • 2005年08月 (3)
  • 2005年02月 (3)
  • 2005年01月 (8)
  • LINKS

    SEARCH

    SEARCH