翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 45-2

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「今となってはそうした情熱も一切合切、心の中で溶けて消えてしまいました」

「一つ残っていませんか」王妃が意地の悪い口調でたずねた。

「情熱がですか? いったいどんな?」

「……愛国心です」

 ジルベールが頭を垂れた。

「その通りでした。祖国を愛する気持は強く、そのためなら如何なる犠牲も厭いません」

「情けないことです」王妃の声には不思議な暗い魅力が感じられた。「誠実なフランス人であれば今あなたの口にしたような単語でそんなことを表現したりはしない時代がかつてはありましたのに」

「どういうことでしょうか?」ジルベールが恭しくたずねた。

「つまり今言ったような時代には、祖国を愛すると言えば必ずや、同時に王妃と国王を愛するものだったということです」

 ジルベールは顔に朱を注ぎ、頭を垂れた。親しみに満ちた王妃の口から飛び出した電撃に打たれたように震えた。

「答えないのですね」

「僭越ながら誰よりも君主制を愛していると自負しております」

「今は口だけで充分な時代だと? 行動など必要ないと?」

「仰いますが――」ジルベールは驚いたように言った。「信じて下さい。国王や王妃に命じられたことはどんなことでも……」

「実行するのですか?」

「絶対に」

「そうしたとしても――」王妃はいつの間にか気高さを取り戻していた。「務めを果たしたに過ぎません」

「陛下……」

「王たる者は、全権を与え給うた神から、務めを果たす者たちに感謝する責務を免除されているのです」

「残念なことに陛下、務めを果たそうとするだけなら、陛下の感謝よりも大事なもののある時代が近づいているのです」

「どういうことですか?」

「こうして混乱と破壊の日々が続けば、これまで味方(serviteurs)がいた場所から友人の一人もいなくなってしまうでしょう。神に祈るのです、陛下、新しい味方、新しい支援者、新しい友人が授かるよう祈るのです」

「心当たりが?」

「はい」

「では仰いなさい」

「ほかならぬこの私、昨日までの敵でございます」

「敵? どうしてそのようなことを?」

「私を投獄させたではありませんか」

「では今日は?」

「今日の私は――」ジルベールはお辞儀をした。「陛下の味方でございます」

「目的は何です?」

「陛下……」

「味方になった目的は? 意見や信念や心情を変えるなんて、あなたらしくもない。いつまでも心に留めて、復讐を諦めない方だったはずです。心変わりの理由を仰いなさい」

「先ほど祖国を愛する強い気持を咎められたものですから」

「過ぎたるは及ばざるが如しというだけです。要は愛し方の問題です。わたしは祖国を愛しています」ジルベールが笑ったのを見て、「勘違いしないで下さい。祖国とはフランスのことです。わたしはフランスに輿入れいたしました。流れる血こそドイツのものですが、心はフランスのものです。わたしはフランスを愛しています。ただし国王のためと、祝福を与え給うた神への敬意のために、愛しているのです。次はあなたの番ですよ」

「私ですか?」

「ええ、あなた。わたしから言いましょうか? あなたの場合はまったく事情が異なるはずです。あなたがフランスを愛しているのはそれこそフランスのためでしかありません」

「私に誠実さが足りないというのでしたら、きっと陛下への敬意にも欠けているのでしょう」

「恐ろしい時代になったものです。自分こそ誠実だと信じている者たちが、一度も離れたことのない二つのものを、諸共に歩んで来た二つの要素を、引き離してしまうとは。フランスとフランス国王。確かお国の詩人の悲劇ではありませんでしたか? 誰からも見捨てられた王妃が『おまえの許に残るものは?』とたずねられて、『この私だけ』と答えるのは。わたしもメデイアのように、一人残って、見届けようではありませんか」

 そう言って王妃は呆然としているジルベールを尻目に憤然として立ち去った。

 王妃の怒りがあまりにも大きいせいでヴェールの一端がめくれていた。そのヴェールの陰では反革命の活動が着々と進められていたのだ。

「これでわかった」ジルベールは国王の部屋に足を踏み入れながら呟いた。「王妃は何か考えているようだ」

「これでわかった」王妃は自室に戻りながら呟いた。「やっぱりあの男からは何も期待できない。野心(force)ばかりで忠誠心がない」

 哀れな君主たちよ! 君主たちにとって、忠誠という言葉は隷属と同義であった!

 
 
 第45章おわり。第46章につづく。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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