翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 46-1

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

第四十六章 王妃の望み

 ジルベールはネッケルに会いに戻った。昂奮した王妃とは対照的に落ち着いた国王と謁見した後のことだ。

 国王は訓練をおこない、報告を組み立て、法律の改正を目論んでいた。

 この善良なる男には優しい目と真っ直ぐな心があったが、王室に生まれたことによる偏見のせいで心根が歪み、奪われた重大なものより些細なものを取り戻すことに執着していた。足許に深淵が口を開いているというのに、視力の弱い目で遠くの地平線を見晴るかそうとしていた。ジルベールは憐れみをもよおさずはいられなかった。

 王妃にはまた違った気持を抱いていた。感情的ではないジルベールも、王妃のことは熱烈に愛するか死ぬほど憎むかしなくてはならない女だと感じていた。

 一方の王妃は部屋に戻ると、改めて心にのしかかった巨大な重しを実感した。

 女としても、王妃としても、押し潰されるほどの重しを支えてくれるような確かなものなど周りには何もなかった。

 どちらを向いても、目に映って見えるのは躊躇いか疑いだった。

 取り巻き連は財産の心配をして着々と準備を進めていた。

 家族と友人は亡命を考えていた。

 誇り高いアンドレとて、身体も心も徐々に遠ざかっていた。

 気高く愛しいシャルニーも、気まぐれのせいで傷つき、疑いに囚われていた。

 こうした状況にあっては、本能と炯眼に恵まれたさしもの王妃も不安に襲われていた。

 シャルニーのような純粋で混じり気のない心を持った男が、どうして突然心変わりをしたのだろうか?

「いいえ、まだ変わってはいない」王妃は溜息をついて独り言ちた。「これから変わってしまうのだ」

 心変わりをされてしまうという確信。それは情熱的な愛を知る女にとって恐ろしく、誇り高い愛を知る女にとって耐え難い着想であった。

 確かに王妃はシャルニーを情熱的かつ誇り高く愛していた。

 そのせいで二つの傷に苦しんでいた。

 だがそれでも、それが起こった時であったなら、苦しみを感じ間違いを犯したと気づいたばかりの時であったなら、まだ繕うだけの余裕はあった。

 ところが冠を戴いた心には柔軟なところがなかった。自分に非があっても譲ろうとすることが出来なかった。興味のない人間相手であったなら、度量の大きいところを見せたか、或いは大きく見せようとしてから、許しを請うただろう。

 だが激しく純粋な愛情を捧げていた相手、秘めた思いを分かたせていた相手には、如何なる譲歩もすべきでないと考えていた。

 王妃たる者が一人の家臣を愛するまでに身を落としてしまった時、何が不幸と言って、女としてではなく王妃として愛してしまうことだ。

 気位が高いがゆえに、血と引き替えであろうと涙と引き替えであろうとその愛をあがなえる人間がいるとは信じられずにいた。

 自分がアンドレに嫉妬していると気づいた瞬間から、王妃の心はくじけ始めていた。

 心がくじけた結果、気まぐれを起こした。

 気まぐれの結果、癇癪を起こした。

 そして癇癪の結果、馬鹿げたことを思いつき、その帰結として馬鹿げた行動を起こした。

 シャルニーはこうしたことに一切気づかなかった――とは言え男であったから――マリー=アントワネットが嫉妬していることには気づいていたし、それが妻に対する不当な嫉妬であることも気づいていた。

 妻のことなど一度も意識したことはなかったのだから。

 裏切るような人間だと思われることほど、裏切らない真っ直ぐな心を憤慨させるものはない。

 誰かを嫉妬することほど、その誰かに目を向けさせるものはない。

 その嫉妬が不当なものであればなおのこと。

 そこで疑われている男は考えた。

 嫉妬している女と嫉妬されている女を代わる代わる見つめた。

 嫉妬心はますます大きくなり、男が陥っている危険はますます大きくなった。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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