翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 48-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 当の王妃は現場の魔力に囚われて眩暈を起こし部屋に戻っていた。

 部屋に戻るとすぐに寵臣とご機嫌取りに取り囲まれた。

「軍人たちの本心がおわかりいただけましたか。無政府主義を求める民衆の憤りがとやかく言われておりますが、それが君主制主義に対するフランス軍の情熱に対抗できるとお考えですか」

 この言葉が内心の希望に適っていたために、王妃は妄想に絡め取られたまま、シャルニーが遠くに独り残っていたことに気づきさえしなかった。

 だが徐々に喧噪もやんだ。狂乱の火も陶酔の幻影も眠気には勝てなかった。そんなところに国王が就寝時に王妃の許を訪れて、斯かる深遠なる言葉をかけた。

「嫌でも明日にはわかるよ」

 何たる思慮の浅さであろう。その言葉は、声をかけられた当人以外にとってこそ賢明なる忠告であったものの、半ば涸れかけていた王妃の内なる泉に抵抗と挑発の水を甦らせてしまった。

 ――その通りだ。国王の退出後、王妃は独り言ちた。――今宵この宮殿にくすぶっている炎は今夜にはヴェルサイユに広がり、明日にはフランス全土を焼き尽くすだろう。今宵わたしに忠誠の印を見せた兵士たちや将校たちは、国民を裏切り逆らうことになる。祖国を破壊する貴族の指導者たちは、北方の蛮族に取り入るピットやコーブルク(Cobourg)に買収された子分扱いされることになる。

 ――黒い徽章を掲げたあの頭の一つ一つがグレーヴ広場の街灯に吊るされることになるのだ。

 ――高らかに「王妃万歳!」という声を洩らしたあの胸の一つ一つが、暴動が始まった途端に、卑劣なナイフやおぞましい槍で穴を開けられることになるのだ。

 ――それにまたわたしだ、すべての原因になるのは常にわたしなのだ。勇敢な家臣たちに死を宣告することになるのは、わたしだ。近くにいれば猫をかぶっていたわられ、離れていれば憎まれて罵られている、冒すべからざる君主のわたしなのだ。

 ――いけない。替えの利かない最後の友人たちに対してこれほど恩知らずなことをするくらいなら――これほど卑劣で薄情なことをするくらいなら、過ちの責を負おう。――何もかもわたしのために起こったことなのだから、怒りの責めを負うのはわたしだ。――憎しみが何処までたどり着けるか見届けてやろう。穢れた流れが玉座の何処まで上ってくるのか見届けてやろう。

 こうして眠れずに悲観的な考察で頭をいっぱいにしていた王妃にとって、翌日の結果は疑いようのないものであった。

 そうして迎えた翌日は、後悔で曇り、囁きで満ちていた。

 翌日、旗を配られたばかりの国民衛兵が、顔を伏せ目を逸らして王妃に挨拶を述べに来た。

 その態度を見れば、この男たちが何一つ認めていないどころか、むしろその気になれば異を立てていただろうことは容易に想像できた。

 その男たちは確かにお供の一行に混じっていた。フランドル聯隊を出迎えに行っていた。宴会の案内状を受け取り、それに応じていた。ただし、兵士ではなく市民として、どんちゃん騒ぎの間は耳に入れられることのなかった声なき忠告を果敢にもおこなっていた者たちであった。

 忠告は翌日には批判となり非難となった。

 王妃に挨拶を伝えに宮殿を訪れた男たちには、山ほどの群衆(une grande foule)がつきまとっていた。

 事態が重く見られたためにただの儀礼が大ごとになっていたのである。

 いずれの側も用のある人間を見に来たことになる。

 前日の夜に愚かな真似をした兵卒や将校にしてみれば、軽率な振舞を王妃が何処まで支持してくれるのか知りたいところであった。その正面には、前夜のことに憤懣やるかたなく口汚く吠えている民衆(peuple)が、宮殿からの正式な第一声を聞くために集まっていた。

 反革命の重しはその時から王妃一人の頭上に吊るされることになった。

 だがそれでも王妃にはまだ、それだけの責任を逃れるだけの力と、それだけの災難を遠ざけるだけの力が残っていた。

 それだのに、王家でも指折りの自尊心を有していた王妃は、輝かしく澄み切った揺るぎない眼差しを、取り囲んでいる味方と敵に彷徨わせ、よく響く声で国民衛兵将校たちに話しかけた。

「皆さんに旗を差し上げられたことを心より嬉しく思います。わたしたちが国民と軍隊を愛しているように、国民と軍隊も国王を愛して下さい。

「昨日は満足な日でした」

 はっきりと口にされたその言葉を聞いて、群衆(la foule)の中から呟きが洩れ、軍人の群れからは喝采が巻き起こった。

「俺たちは守られてるんだ」と軍人たちが言った。

「俺たちは裏切られた」と群衆から声があがった。

 されば哀れな王妃よ、十月一日晩餐の出来事は驚くようなことではなかったのか。されば気の毒な女よ、おまえは昨日のことを嘆いてはいないのか、悔やんではいないのか。

 悔いるどころか、満足していたのか。

 シャルニーは人込みの中で、王妃が護衛隊のどんちゃん騒ぎを正当化するだけでは足らず讃美するのを聞いて、つらい胸の底から深い溜息をついた。

 群衆から外れた王妃の目が、シャルニーの目と合った。王妃は想い人の顔に目を留め、どれだけの感銘を与えたのか読み取ろうとした。

「わたしはよくやったでしょう?」王妃の目がそう告げた。

「よいどころか馬鹿な真似をなさいました」シャルニー伯爵の暗く歪んだ顔がそう答えていた。



第48章終わり。第49章につづく。

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