翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』51-4

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 王妃がシャルニーに燃えるような眼差しを向けた。

「そんなことより、昨日パリで何が起こっていたというのですか? その目で何を見たのかまだ聞いておりません。あなたの言葉が正しいことをはっきり確かめたいのです」

「河岸に押し寄せた人々を目にしました。届きもしない小麦粉を待っていたのです。パン屋の戸口に並び、ありもしないパンを待っている人も見ました。飢えた人々をこの目で見たのです。夫は悲しい目で妻を見つめ、母は悲しい目で子供を見つめていました。幾つもの拳がヴェルサイユに向けて怒りに握り締められているのを、この目で見たのです。おわかりですか? お話ししているこうした脅威が――陛下のために死ぬ機会が――幸運にも私たち兄弟が最初につかむはずのその機会が、目の前に現れるのがそう遠くないことなのではないかと思えてならないのです」

 王妃は苛立ったようにシャルニー伯爵に背を向け、血の気が引いているにもかかわらず燃えるように熱い額を、大理石の中庭(la cour de marbre)に面した窓のガラスに押しつけた。

 途端に王妃は身体をがくがくと震わせた。

「アンドレ、ここに来て、こちらに向かって来るあの馬に乗った男が誰なのか確かめてもらえますか。急使だと思うのだけれど」

 アンドレは窓に近づいたが、途端に真っ青になって飛び退った。

「陛下!」声には非難の色が滲んでいた。

 シャルニー伯爵が慌てて窓に近づいた。目の前で起こっていることを何一つ見逃してはいなかったからだ。

「あの馬の男は」と言って、シャルニーは王妃とアンドレを順番に見つめた。「ジルベール医師です」

「本当ね」そう答えた王妃が果たして女特有の復讐心に駆られてアンドレを窓に近づかせたのかどうか、アンドレにも判断がつかなかった。王妃には時々そうした復讐心に駆られることがあったけれど、その一方で不寝と涙で弱った目には、たとい見分けて然るべきものであろうとも遠くのものを見分けられなかった可能性もある。

 その場で三人の主役たちは沈黙で凍りついたまま、目だけで問いかけと受け答えを続けていた。

 到着したのは確かにジルベールだった。シャルニー伯爵の予感に違わず、良くない報せを携えて来たのである。

 ところが、ジルベールは大急ぎで馬から下りたというのに、そして急いで階段を上ったというのに、そして王妃とアンドレとシャルニー伯爵の怯えた三つの顔が階段の先にある扉に向けられたというのに、そしてその扉からジルベール医師が入って来るはずだというのに、扉はまったく開かなかった。

 三人としては不安な数分を過ごす羽目に陥った。

 出し抜けに反対側の扉が開き、一人の将校が姿を見せた。

「陛下、ジルベール医師が国王に急を要する重大なお話がしたいといらっしゃっていますが、国王は一時間前にムードンにお発ちになってしまいました」

「ここに通しなさい」王妃は冷酷といっていいほど強張った眼差しを扉に突き刺した。アンドレは夫にしがみつくのが当然のように、後じさって夫の腕にもたれようとした。

 ジルベールが戸口に現れた。

 
 第51章おわり。第52章につづく。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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