翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』57-5

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 その間セバスチャンは十字架の足許にひざまずいて祈りを捧げていた。誰のために祈っていたのかは知るべくもない。

 恐らくは、森の木々の下に見つかればいいと願っていた幼少期の景色のために。恐らくは、見たことのない見知らぬ母のために。何となれば母なるものは、実際に乳を与えることがなくとも、九か月にわたって血で子を育てたのだから。【※血で子を育てた=母胎で育てた】

 ピトゥは神聖な行為を終えると、兜を頭に戻し、太刀をベルトに留めた。

 セバスチャンは祈りを終えると、十字を切ってからピトゥの手を取った。

 そうして二人は村に足を踏み入れ、ピトゥが生まれセバスチャンが育った藁葺きの家に向かった。

 アラモンをよく知っていたピトゥだったが、藁葺きの家を見つけられずにいた。仕方なく人にたずねてみると、教えられたのはスレート屋根のある石造りの小屋だった。

 庭は塀で囲われていた。

 アンジェリク伯母は妹の家を売り払っていたのだ。新しい所有者は当然ながら家をすっかり滅茶苦茶にしてしまった。以前なら壁は上から下まで何度も塗り直されていたし、以前なら扉には猫用の出入口が付けられていた。以前なら窓の半分にはガラスが嵌められ、もう半分に貼られた紙にはピトゥが棒で書いた拙い字が並んでいた。藁葺き屋根には緑の苔と、花を咲かせたサボテンが育っていた。

 それがすべてなくなっていた。何もかも。

 閉じた扉の敷居の上で太った黒猫がピトゥに牙を剥いた。

「ねえセバスチャン」ピトゥの目には涙が浮かんでいた。「行きましょう。あそこならきっと何も変わってませんよ」

 そう言ってピトゥは母の眠る墓地にセバスチャンを連れて行った。

 確かに何も変わっていなかった。雑草がはびこっていること以外は。雑草が墓地中にはびこっていたので、母の墓を見つけることさえ難しかった。

 墓地には幸いなことに雑草だけでなく枝垂れ柳の枝も生えており、枝は三、四年で大きく育っていた。ピトゥは柳に向かって進み、影の落ちている地面に口づけした。無意識に畏敬を覚えてキリストの両足に口づけしたように。

 立ち上がると、柳の枝が風に揺れてまとわりつくようにたなびいていた。

 ピトゥは腕を伸ばして枝を胸に掻き抱いた。

 それはまるで最後に抱きしめていた母の髪のようだった。

 二人がしばらく墓地で安らいでいるうちに、日は傾いていた。

 墓を後にしなくてはならない。ピトゥのことを忘れずにいたのはこの墓だけだろうというのに。

 ピトゥは立ち去る前に柳の枝を折って兜に挿そうとしたが、直前で思い留まった。

 この柳の根はきっと、遺体の眠っている剥げた樅の棺を包み込んでいる。その枝を折れば母が痛がるような気がした。

 だから改めて地面に口づけをしただけで、セバスチャンの手を取って墓地を後にした。

 誰もが畑や森で働いていたから、ピトゥの姿を目にした人自体が少なかったうえに、兜と太刀ですっかり変わって見えたから、気づいた者も皆無だった。

 ピトゥはヴィレル=コトレに向かった。道の大半が森を貫いているので、つらいことから気持を逸らすような生き物や動く物には事欠かなかった。

 セバスチャンも同じように物思いに耽りながら無言でついて行った。

 ヴィレル=コトレに到着したのは夕方の五時頃だった。

 

 第57章おわり。第58章に続く。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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