アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
カトリーヌが大通りに出た頃、ピトゥは背の高いライ麦の後ろに屈み込みながら森にたどり着いた。
一瞬で森の入口まで来たピトゥは、時間を無駄にせずドブ(fossé)を飛び越え木の下に駆け込んだ。不格好ではあったがノロジカも驚くほどの素早さだった。
こうして十五分走ると、木々が開けて大通りが見えた。
ピトゥは立ち止まり、節くれ立った小楢の幹に身体を預けて身を隠した。カトリーヌを追い抜いたのは間違いない。
だが十分待ち、十五分待っても誰も来ない。
農場に忘れ物でもして部屋をひっくり返しているのだろうか? ありそうではある。
ピトゥは最大限の注意を払って街道に近づき、街道と森に跨るドブにまで伸びている巨大なブナの陰から首を伸ばして、見える限り遠くまで真っ直ぐに目を向けたが、何も見えなかった。
カトリーヌは忘れ物をして農場に戻っているのだ。
ピトゥは歩みを再開した。カトリーヌがまだ農場に到着していないのなら、戻って行くのが見えるだろうし、到着しているのなら出て来るのが見えるだろう。
ピトゥはコンパスのように長い足を広げて、原っぱに向かって走り始めた。
街道の外れの砂地まで走ると足取りをゆるめ、不意に立ち止まった。
カトリーヌの馬が側対歩(l'amble)で歩いていた。
馬は側対歩で歩いて大通りを離れ、道の外れを越えて小径を進んで行った。小径の入口には道しるべが立てられていた。
『自ラ・フェルテ=ミロン、至ブルソンヌ(Boursonne)』
ピトゥが目を上げると、遙か遠く小径の向こう端に、白い馬とカトリーヌの赤い上着が青い森の彼方に紛れていた。
確かに遙かに遠くではあったが、先述の通りピトゥにとって距離などないに等しい。
「よし!」ピトゥは改めて森の中を駆け出した。――つまり行き先はラ・フェルテ=ミロンではなくブルソンヌか。
――だけど間違っちゃいない。何度もラ・フェルテ=ミロンの名前を出していたのはラ・フェルテ=ミロンで買い物の用事があったからだ。ビヨおばさんもラ・フェルテ=ミロンの話をしていた。
その間もピトゥは走り続けた。どんどん足を早め、猟犬のように駆け出していた。
それもそのはずピトゥは大半を嫉妬という不安に駆られていた。ピトゥはもはやただの二足歩行の生き物ではなく、翼を持つからくりのようだった。例えばダイダロスのような、或いはその他の名もなき古代の工匠たちが夢見ながらも夢潰えて来たからくりのようだった。【※ダイダロス(Dédale)。ギリシア神話に登場する工匠。息子のイカロスとともに蝋でできた翼を作り島から脱出しようとした等の挿話がある】
それはあたかも茎の腕を持つ藁人形が玩具売りの台の上で風に吹かれているように見えた。
腕も足も頭も、ありとあらゆる箇所が揺れて回って飛ばされていた。
巨大な足は歩幅にして五ピエにまで広がり、柄のついたへらのような手は櫂のように空気を漕いだ。顔にある口と鼻と目からは、音を立てて吐き出した空気を吸い込んでいた。
如何なる馬とてこれほど激しく走ることはない。
如何なる獅子とてこれほど貪欲に獲物を狩ることはない。