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 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』64-7

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「信じるしかあるまいな、王権はここまで落ちぶれているのか。こんな小僧が――」とピトゥを指さし、「アリステイデス(Aristide)やポキオン(Phocion)の名を引用するように、ラファイエットの名を引用するほどだとは」【※アリステイデス。同名の人物は何人かいるが、ここで述べられているのはアテネの政治家である正義のアリステイデス(B.C.530-B.C.468)か。ポキオン(B.C.402-B.C.318)はアテネの政治家。】

「今の言葉を民衆(le peuple)に聞かれてなくて良かったですね」ピトゥは思わず言ってしまった。

「そうかね?」神父が勝ち誇って声をあげた。「とうとう正体を現したな、脅迫者め。民衆か、なるほど民衆だ。卑劣にも王国の軍人たちの喉をかっさばき、臟を引きずり出した者どものことだな。結構。ラファイエット殿率いる民衆、バイイ殿率いる民衆、ピトゥ殿率いる民衆。なぜ私のことを今すぐにヴィレル=コトレの革命主義者どもに密告しない? なぜプリューまで引きずって行かない? なぜ腕をまくって街灯に吊るさないのだ? さあピトゥ、勇気ヲ持テmacte animo、ピトゥ、心ヲ強クSursum ! sursum !、ピトゥ……さあ縄は何処だ? 絞首台は何処だ? 絞首人は此処だな。ぴとぅヨ、勇気ヲ持チテ気高クアレMacte animo, generose Pitoue

然ラバ星々マデ至ランSic itur ad astra!」ピトゥがぼそっと呟いた。ピトゥとしてはこの成句を締めようとしただけで、非道い当てこすりを言ったことには気づいていなかった。【※◆前段の「Macte animo, generose Pitoue.」は、通常「Macte animo generose puer, sic itur ad astra 」の形で用いられる。「子よ、勇敢に、気高く、さらば星々まで届かん」の意。フォルチエ神父は「puer」を「Pitoue」にもじっている。もともとはウェルギリウス『アエネーイス』第9巻641行「Macte nova virtute, puer, sic itur ad astra」より、アポロンがアエネアスの息子アスカニウス(ユルス)を励ます言葉。「Macte animo, generose puer,( sic itur ad astra)」の形でヴォルテールが好んで用いた。】

 だが神父が激怒しているのを見て嫌でも気づかされることになった。

「ほう、そう思うのか。では私はそうして星まで至るとしよう。絞首台を用意してくれ」

「そんなつもりで言ったわけじゃありません」ピトゥが声をあげた。議論の成り行きに不安を感じ始めていた。

「約束してもらおう。気の毒なフーロンやベルチエのいる天国に行かせてくれ」

「お願いです、先生」

「君はとっくに首吊り縄を手にしているではないか、絞首人君。市庁舎広場の街灯に上っていたのは君ではないのか? その蜘蛛のような醜い腕で生贄をおびき寄せていたのは君ではないのか?」

 ピトゥは憤怒の叫びをあげた。

「間違いなく君だ。君のことはよくわかっている」フォルチエ神父は予言をするヨヤダ(Joad)のように高揚していた。「君のことはよくわかっている。叛逆者カティリナ(Catilina)とは君のことだ」【※Joad。Joïada とも。ヨヤダまたはエホヤダ。旧約聖書『歴代誌(下)』等に登場する祭司。神殿の補修のため銀を集めたり(列王記(下)12:9-)、バアルの神殿でヨアシュ(ヨアシ)王を即位させアタルヤ(アタリヤ)女王を処刑し人々に神との契約を結ばせた(歴代誌(下)23:1-)。英訳では「Joab」になっている。/Catilina。ルキウス・セルギウス・カティリナ(Lucius Sergius Catilina,B.C.108-B.C.62)。共和制ローマへのクーデターを企てた。キケロ「カティリナ弾劾」で知られる。】

「どれだけ許し難いことを仰ったかわかってるんですか? ボクを侮辱してるんですか」

「君を侮辱しているのだ」

「それ以上続けるつもりなら、国民議会に訴えますよ。だけど……」

 神父は突然ぞっとするような嫌らしい笑い声をあげた。

「告発するがいい」

「善良な市民を侮辱する不道徳な市民には罰が下されるんですよ」

「街灯かね?」

「先生は不道徳な市民です」

「縄だ、縄をくれ!」

 だが突然「待てよ?」と叫ぶと、何かを閃き義憤をほとばしらせるように激しく動いた。「兜だ、兜。此奴だ」

「ボクの兜がどうしたんです?」

「ベルチエから湯気の立った心臓を引きずり出し、血塗れのまま選挙人の机に運んだ人でなしが、兜をかぶっていた。兜をかぶった人間とは君だ、ピトゥ。兜をかぶった人間は君だ、化物め。立ち去れ、立ち去れ、立ち去るがいい!」

 まるで悲劇の台詞のように「立ち去れ」という言葉を口にしながら、神父が詰め寄ると、ピトゥは後じさった。

 読者諸兄はご存じの通りピトゥは潔白である。ところがピトゥは糾弾されてあれほど誇っていた兜を遠くに放り投げた。厚紙で裏打ちされた銅製の兜は、くすんだ音を立てて敷石の上に落ち傷だらけになった。

「ほら見ろ、認めおったな!」

 まるで手紙を見つけてザイール(Zaïre)を責める、ルカン(Lekain)演じるオロスマーヌ(Orosmane)の如き立居振舞であった。【※『ザイール(Zaïre)』は、ヴォルテールの戯曲。スルタンのオロスマーヌに愛されたキリスト教徒のザイールが、一通の手紙によって不実を疑われ、スルタンに刺されて命を落とす。あとで無実に気づいたスルタンも自殺する。ルカン(Lekain)は、オロスマーヌ役を演じたフランスの俳優(1729-1778)。】

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