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翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』65-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 返信を待つ時間は短くて済んだ。

 翌々日、特使が馬でアラモンに到着し、アンジュ・ピトゥを訪ねた。

 ざわめきが広がり、兵士たちの間に期待と不安が広がった。

 特使は汗だくの白い馬に乗っていた。

 パリ国民衛兵参謀の制服を着ている。

 特使の来訪が如何ほどの効果をもたらしたか、そしてまたピトゥが如何に動揺し動悸がしたか推して知るべしである。

 ピトゥは青ざめて震えながら笑顔の特使に近づき、差し出された小包を受け取った。

 ジルベールが代筆したビヨからの返信だった。

 過剰な愛国心は抑えよというビヨからの忠告があった。

 それから陸軍大臣の副署のあるラファイエット将軍の指令も一緒だった。アラモンの国民衛兵に武器を持たせよというものだった。

 ラファイエット将軍の名に於いてソワッソンとラン(Laon)の国民衛兵に武器を持たせよという任を受けた参謀が出発するのに合わせたものだ。

 指令の内容は以下の通り。

『銃と剣をそれぞれ二挺以上持つ者は、二挺目以降を各市町村の部隊長が自由に使えるようにすべし。

 この処置は市町村内全土にわたって施行されるものとする』

 ピトゥは顔を真っ赤にして喜び、参謀に礼を述べた。参謀は再び笑顔を見せると、次の目的地に向かってすぐさま発って行った。

『アンジュ・ピトゥ』65-2

 そこでピトゥは新たな鉱脈を掘ることにして、説得して手に入れようと考えていた武器を、計略か武力(par la ruse ou par la force)を用いて手に入れようと決めた。

 まず一つの方法が思い浮かんだ。

 計略の方だ。

 神父の収蔵品庫に忍び込み、保管庫(arsenal)の武器をこっそり頂戴するか運び出すか(dérober ou enlever)出来るだろう。

 仲間がいればピトゥのやることは徴集(déménagement)だが、一人でやれば泥棒(vol)だ。

 泥棒! 正直者のピトゥにとって耳に不快な響きの言葉だった。

 徴集と雖もまだフランスに大勢いる旧習に染まった者たちからは武装した強盗だの泥棒だの言われることは間違いない。

 こういったことを考え合わせた結果、ピトゥは前述した二つの手段を前に尻込みしてしまった。

 とは言え自尊心が先走っていたし、その自尊心を傷つけずに事態を切り抜けるためには誰にも助けを求めるわけにはいかない。

 ピトゥは改めて手だてを考えた。新しい方策を見つけるため、感心するほど頭を振り絞った。

 遂にピトゥはアルキメデスのように「エウレカ!」と叫んだ。要はフランス語で言えば「見つけた」という意味になる。

 果たしてピトゥが智性という武器庫の中で見つけた手だてがこちらである。

 ラファイエットはフランス国民衛兵の総司令官である。

 アラモンはフランスである。

 アラモンには国民衛兵がある。

 従ってラファイエットはアラモン国民衛兵の総司令官である。

 ならばラファイエットはアラモンの義勇兵に武器がないことをよしとしないであろう。ほかの地域では既に武装済みか武装の準備に入っているのだから。

 ラファイエットと接触するには――ジルベールと接触せねばならず、ジルベールと接触するには――ビヨと接触しなくては。

 ピトゥはビヨに手紙を書いた。

 ビヨは字が読めないので、ジルベールが読むことになる。つまり二人目の仲介者までは接触できるだろう。

 ここまで考えるとピトゥは夜を待ってから人目を避けてアラモンに戻り、ペンを取った。

 だがこれだけ人目に触れぬよう用心して戻ったというのに、クロード・テリエとデジーレ・マニケには見られていた。

 二人が戸を叩いた時、ピトゥは手紙を書き終えて大きな白い封筒にたっぷりと封蝋をつけて封をしたところだった。

 ピトゥは口唇に指を当て、反対の手で封をした手紙を指さした。

 こうした箝口令に感銘を受けたクロード・テリエとデジーレ・マニケは、何も言わず口唇に指を当て手紙に目を注ぐと人目に触れぬよう立ち去った。【※二段落前の「二人が戸を叩いた時…」からこの段落の前半「…デジーレ・マニケは」までは底本・初出にはなく、後の版で追加されている】

 ピトゥは政治の海の真っ直中で藻掻いていた。

 ところで以下にお見せするのが、ピトゥが白い封筒に入れて閉じ、クロードとデジーレに感銘を与えた手紙である。

 

『ビヨさんへ

 革命の大義は僕たちの故郷でも日に日に広がっています。貴族は立場を弱め、愛国者は前に進んでいます。

 アラモンの村民は国民衛兵に入りました。

 だけど武器がありません。

 武器を入手する方法が一つあります。大量の武器を所有している人たちがいますから、その武器を公務に借用できれば、国庫の負担を減らすことが出来るのです。

 ラファイエット将軍さえ構わなければ、違法に所有してあるそうした武器を兵士の数に応じて自由に使えるように命令を出していただきたいのです。少なくとも三十挺の銃をアラモンの武器庫に用意する役目は及ばずながら僕が引き受けます。

 それが貴族や国民の敵が企てている反革命的な堤防に対抗する唯一の手段なのです。

 あなたの同志にして忠実なる僕、アンジュ・ピトゥ』

 

 訴えを書き終えたところで、農場の使用人や家族の話を忘れていることに気づいた。

 ブルトゥスのように無智を装うにしても、やり過ぎた。一方でビヨにカトリーヌのことをあれこれ伝えたならば、嘘をつくことになるか父親の心を引き裂くことになりかねないし、ピトゥの魂にある傷口を開いて血を流してしまうことになる。

 ピトゥは溜息を飲み込んで追伸を書き足した。

 

『追伸。ビヨおばさんもカトリーヌさんも使用人のみんなも元気でやっていて、ビヨさんのことを懐かしんでいます』

 

 これで自分にもほかの誰にも迷惑を掛けなくともよい。

 ピトゥは秘密を共有する二人にパリ宛ての封筒を見せると、前述したように一言だけ言うに留めた。

「これです」

 それからピトゥはポストに手紙を投函しに行った。

『アンジュ・ピトゥ』65-1

第六十五章 戦術家ピトゥ

 前章では野心を抱いていたピトゥがどのように転がり落ちたかをお伝えした。

 何しろ深いところまで落ちていた。天国から地獄に叩き落とされ転がり落ちたルシフェルも計り知ることの出来ないほどの落差であった。それでもルシフェルは地獄で王となっていたが、フォルチエ神父に叩き落とされたピトゥはただのピトゥになってしまった。

 ピトゥを代表に選んだ人たちの前にこれからどうやって出ればよいというのか? あれだけ安請け合いしておいて、実は指揮官は法螺吹きのペテン師だったと伝えなければならないのか? 頭に兜を乗せ、腰に剣を差しながら、老神父から鞭で尻を叩かれてすごすごと戻って来るような人間だったと。

 神父のことは任せておけと大見得を切っておきながらそれに失敗するとはとんだ失態だ。

 気づけばピトゥはどぶの向こう側にいて頭を抱えて考え込んでいた。

 ギリシア語とラテン語を話せばフォルチエ神父の機嫌も取れると思っていた。生来のお人好し故、美文という蜜を使えばケルベロスを懐柔できると自惚れていた。だがピトゥの蜜は苦かったし、ケルベロスは蜜を飲み込みもせず手に咬みついた。目論見はすべて灰燼に帰した。

 フォルチエ神父には巨大な自尊心があったのに、ピトゥはその自尊心を見誤っていた。神父が腹を立てた最大の理由は、武器庫から銃を三十挺持ち出そうとしたからではなく、ピトゥが神父の言葉に間違いを見つけたからであった。

 若者は善良なるが故に、他人にもそうした長所があると信じ込んでしまう間違いを犯す。

 ところがフォルチエ神父は熱狂的な王党派であり、何よりも誇り高い言語学者であった。

 ルイ十六世や「~だêtre」という動詞によって神父の怒りに二つも火を付けてしまったのが返す返すも悔やまれる。そんなのはわかっていたのだから注意すべきだった。完全にピトゥの失敗だったが、悔やんだところでいつだって後の祭りなのだ。

 今となってはすべきだったことを確かめるだけだ。

 言葉を駆使して自分が国王派だということをフォルチエ神父に証明すべきだった。何よりも文法間違いに気づかずやり過ごすべきだった。

 アラモンの国民衛兵は革命主義者ではないことを説明すべきだった。

 この衛兵隊は国王の助けになるのだと断言すべきだった。

 就中「~だêtre」なる忌々しい動詞の時制が違っていることに一言も触れるべきではなかった。

 そうすれば必ずや神父も宝物庫と武器庫を開放したことだろう。勇猛な軍隊と雄々しい指揮官の援助を君主制が確実に受けられるように。

 嘘も方便というではないか。ピトゥはじっくりと内省してから、歴史上の出来事を様々に思い浮かべた。

 マケドニア王ピリッポス(Philippe de Macédoine)のことを考えた。あれだけ偽りの誓いをしておきながら偉人と評されている。【※マケドニアにはピリッポスという国王は複数いるが、偉人と呼ばれたのはアレクサンドロス大王の父親であるピリッポス二世(BC382-BC336)のことか?】

 ブルトゥス(Brutus)は白痴を演じて敵を油断させたが、偉人と評されている。【※初代執政官ブルトゥス(?-BC509)は、暗殺されるのを逃れるため愚者を演じた】

 テミストクレス(Thémistocle)は生涯を通じ同国人を欺いて尽くしたが、やはり偉人と評されている。【※テミストクレス(BC520?-BC455?)はアテナイの政治家】

 一方、アリステイデス(Aristide)は不正をよしとしなかったが、やはり偉人と評されている。【※アリステイデスの名は第64章にも見える。アリステイデス(B.C.530-B.C.468)はアテナイの政治家であり、「正義の人」と呼ばれた(*a)。貴族主義的傾向にあったため、民衆派で「民衆を(中略)駆り立てて(中略)新機軸を打ち出そうとする」テミストクレスとは性格も正反対であり、対立した。※『英雄伝』プルタルコス。】

 この矛盾をどう判断すればよいのか。

 それでも熟慮の末に結論を出した。アリステイデスは運が良かった。何となればアリステイデスの生きていた時代は善意だけで勝利できるほどペルシア人がお人好しだったからだ。

 そしてまた熟慮の末に結論づけた。結局のところアリステイデスは追放されたのである以上、その追放がどれだけ不当なものであろうと、マケドニア王ピリッポスやブルトゥスやテミストクレスに分があると言える。

 そこで現代の例に戻って熟考した。ジルベールやバイイやラメット(monsieur Lameth)やバルナーヴやミラボーがピトゥの立場だったなら、果たしてどのように行動するだろうか。そしてまたルイ十六世がフォルチエ神父だったとしたら。

 三十万から五十万人のフランス国民衛兵に武装させるには、国王にどう働きかけただろう?

 まさしくピトゥと正反対のことだ。

 きっとルイ十六世に説明しただろう。フランス人の望みはフランス人の父を救い守ることだけであり、確実にそうするためには三十万から五十万挺の銃が必要であると。

 そして間違いなくミラボーなら上手くやったはずだ。

 ピトゥは巷間に流布する小唄のことを考えた。

 

 悪魔に何かをねだるなら、
 様付けせんとなりませぬ。

 

 斯くしてピトゥは総合的に結論づけた。アンジュ・ピトゥは超がつくほどの大馬鹿者でしかなく、手柄を立てて有権者たちの許に戻るには自分がやってしまったことと正反対のことをしなくてはならなかったのだ。

『アンジュ・ピトゥ』64-10

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「なるほど」神父はピトゥの微笑みを見て、まばらな頭髪が逆立つのを感じた。「なるほど海軍の銃か」

「つまりお持ちの武器の中で、歴史的価値がなくて戦いに使えそうなものだけです」

「ほう」神父は軍人(un capitaine)が剣のつかをつかむように九尾鞭のをつかんだ。「卑怯者が正体を現したな」

「お願いです先生」ピトゥの声は凄むような調子から懇願するようなものに変わっていた。「海軍の銃三十挺を渡して下さい」

「去ね!」神父がピトゥに一歩詰め寄った。

「自慢できますよ」ピトゥは一歩後じさりながら言った。「圧制者から国を解放することに貢献できるんですから」

「私と家族に弓引くための武器を差し出せというのか! 私を撃つための銃を手渡せというのか!」

 神父はベルトから鞭を引き抜くと、「冗談ではない」と言って頭上で鞭を振り回した。

「プリュドムさんの新聞にお名前が載りますよ」【※プリュドム(Prudhomme)の名は第62章にも見える。Louis Marie Prudhomme(1752-1830)はフランスのジャーナリスト。『パリの革命』発行人。バスチーユ襲撃を報じた。】

「プリュドムの新聞に名前が載るだと!」

「模範的な市民として」

「むしろ待っているのは首枷とガレー船だ」

「どうして? お断わりになるんですか」猶も訴えるピトゥの声は弱々しかった。

「断るとも。出て行ってもらおう」

 神父は門を指さした。

「そんなことをしたら非道いことになりますよ。意識が低いだの不実だの言って罵られます。先生、どうかそんな真似はよして下さい」

「私を殉教者にするがいい、ネロめ! 喜んでなってやろう」神父の目は赤々と燃え上がり、受刑者というよりもむしろ死刑執行人のようだった。

 効果は絶大だった。ピトゥはさらに後じさった。

「先生」ピトゥは後じさりながら言った。「ボクは平和を愛する使者として、秩序をもたらす大使として、此処に来たんです……」

「君が此処に来たのは武器をくすねるためだ。お仲間が廃兵院からくすねたのと変わらぬ」

「あの人たちのしたことは称讃するに相応しいことでした」

「そして君には鞭の百叩きが相応しかろう」

「フォルチエ先生!」ピトゥは既知の道具を見て声をあげた。「そんな風に人間の権利を侵害することなんて出来ませんよ」

「余裕があるのも今の内だ、ろくでなしめが」

「先生、大使には手を出せませんよ」

「見ておれ!」

「先生! 先生!! 先生!!!」

 ピトゥは神父と向かい合ったまま門までたどり着いた。だが其処で追いつめられてしまい、後は戦うことを受け入れるか逃げるかするしかなくなった。

 だが逃げるには門を開けなくてはならず、門を開けるには後ろを向かなくてはならない。

 後ろを向けば、鎧に充分には覆われていない部分を神父に晒すことになる。

「銃が欲しいだと……銃を探しに来ただと……銃か死を選べと言うつもりか……?」

「そんなこと言うつもりはありません」

「銃の在処は知っているのだ、喉を掻っ切って奪って行けばよかろう。死体を乗り越えて運び出せばよい」

「出来るわけないでしょう」

 ピトゥは掛け金に手を掛け、神父が掲げている腕に目を注いだ。勘定していたのはもはや銃の個数ではなく、鞭の先の革紐がうなるかもしれない回数だった。

「では銃を渡して下さるつもりはないんですね?」

「そうだ、渡すつもりはない」

「そうする気はないんですね? もう一度確認します」

「ない」

「もう一度」

「ない」

「三度目の正直です」

「ないと言ったらない!」

「わかりました。だったら仕舞っておいて下さい」

 ピトゥは大急ぎで後ろを向いて、開いた門の隙間から擦り抜けた。

 だがそれでも間に合わなかった。唸りを上げて鞭がしなやかに振り下ろされ、ピトゥの臀部をしたたかに打ち据えると、勇敢なバスチーユの勝者と雖も思わず悲鳴をあげてしまった。

 この悲鳴を聞いて隣人たちが顔を出し、目を瞠った。兜と剣を身につけたピトゥが一目散に逃げ出し、門口に立ったフォルチエ神父が燃え立つ剣を振りかざす殺戮の天使のように鞭を振りかざしていたのである。

 

 第64章おわり 第65章につづく

『アンジュ・ピトゥ』64-9

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「アラモンに国民衛兵が存在するというのか?」

「その通りです」

「君がその指揮官だと?」

「そうです」

「君が? ピトゥが?」

「ボクが、ピトゥが」

 神父は大祭司ピネハス(Phinée)のように天に向かって腕を引き攣らせた。【※Phinée。ピネハス。『出エジプト記』『民数記』に出てくる祭司。また『サムエル記』にも同名の祭司が登場するが、引き攣った腕を天に向かって伸ばしたという記述はいずれにも見られない】

「憎むべき荒廃だ(Abomination de la desolation)!」【※Abomination de la desolation。聖書に見える表現。不敬や絶望を表す。文語訳「殘暴可惡者《あらすにくむべきもの》」、口語訳「荒らす憎むべきもの」、新共同訳「憎むべき荒廃をもたらすもの」。『ダニエル書』9:27、11:31、12:11、『マタイ福音書』24:15、『マルコ福音書』13:14など。『ダニエル書』12:11には、ダニエルからたずねられた人が天に向かって手を上げる場面がある。】

「先生は知らないんです」ピトゥは慌てなかった。「国民衛兵は市民の生命と自由と財産を守るための組織ですよ」

「何てことだ!」神父はなおも絶望に沈んだ。

「それにそんなに力を持てる組織じゃないんです。特に田舎だと、部隊の問題もありますから」

「君が指揮する部隊かね。掠奪隊、火付け隊、殺人隊か」

「一緒にしないで下さい、先生。隊員たちを見てくれたら、みんなとても真面目な市民だと……」

「黙り給え」

「先生の方こそわかりませんか、ボクらは先生を普段から守っているんです(protecteurs naturels)。その証拠に、ボクは此処に真っ直ぐやって来たじゃありませんか」

「何故そんなことを?」

「そこですよ」ピトゥは耳を掻いて、兜を投げた辺りに目を遣り、大事な軍装の一部を拾い上げるために退路からあまり離れていないことを確かめた。

 兜が落ちているのはソワッソン街に面した大門からわずかの場所だった。

「何故そんなことをしたかと訊いたのだが?」神父が繰り返した。

「そうですね」ピトゥは後じさって兜の方に二歩進んだ。「ボクが此処に来た目的をお話しします。先生には説明するまでもないことかもしれませんが」

「前置きはいらぬ」

 ピトゥはさらに二歩兜に近づいた。

 だが同じような駆け引きがおこなわれ、ピトゥには安心できないことに――ピトゥが兜に二歩近づくたびに、神父も距離を保ってピトゥに二歩近づいていた。

「そうですね」防具に近づくにつれピトゥにも勇気が湧いて来た。「兵にはみんな銃が必要なのに、その銃がないんです」

「そうか、銃がないのか」神父は足を踏み鳴らして喜んだ。「銃がないのだな。選りに選って兵隊に銃がないとはな。立派な兵隊もあったものだ」

「でも先生」ピトゥはさらに二歩兜に近づいた。「銃がないなら探せばいいんです」

「うむ。探しているのか?」

 兜の届くところまでたどり着いたピトゥは、兜を足で引き寄せるのに夢中で返答が遅れた。

「探しているのか?」

 ピトゥが兜を拾い上げた。

「ええ、そうなんです」

「何処にあるのだろうな?」

「先生のところです」ピトゥは兜をかぶって答えた。

「私の家の銃だと?」

「ええ、余るほどお持ちです」

「私のものだぞ。収蔵品を掻っ払いに来おったのだな。こんなクズ共が歴戦の勇士の鎧を背負うというのか。ピトゥ君、先ほどお伝えした通りだ。気が狂っている。アルマンサの戦いの時のイスパニア兵の剣や、マリニャーノの戦いの時のスイス兵の槍を、ピトゥとその仲間たちの武器にするというのかね」【※アルマンサの戦い/マリニャーノの戦い。それぞれスペイン継承戦争でフランス=スペイン軍がイギリス=オランダ=ポルトガル軍を破った戦い、イタリア戦争でフランス=ヴェネチア軍がスイス人傭兵を破った戦い】

 神父が呵々と笑い出した。そのあまりに人を見下した威圧感のある笑いが、血管という血管を通ってピトゥの全身をくまなく回り、ピトゥを芯から震え上がらせた。

「違うんです、先生。マリニャーノのスイス兵の槍もアルマンサのイスパニア兵の剣も要りません。そういった武器では役に立たないでしょうから」

「それをわかってくれるとはありがたい」

「そういった武器ではないんです」

「ではどんな武器だと?」

「海軍の銃です。罰としてよく磨かされていたあの海軍の銃です。あの頃は先生の規則に従いながら学んでいました。『がらてあニ縛ラレシ間dum me Galatea tenebat』」ピトゥはにこりとした微笑みを見せた。【※この章冒頭にあるように、ウェサンの海戦から持ち帰られた銃である】【※ウェルギリウス『牧歌(選集)』第一歌31行「namque – fatebor enim – dum me Galatea tenebat,/nec spes libertatis erat nec cura peculi.」自分を束縛していたガラテアがいなくなったからローマに行くと話すティテュルスの台詞】

『アンジュ・ピトゥ』64-8

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「待って下さい」非難を受けてピトゥは我を忘れていた。「言い過ぎです、先生」

「言い過ぎだと? つまり少ししか人を吊るしていないし、少ししか腹を掻っ捌いていないと?」

「先生、ボクじゃないのはわかってますよね。ピットの仕業だというのはわかってますよね」

「どのピットだね?」

「ピット二世です。チャタム卿ピット一世の息子で、『金を使え、勘定は気にするな』と言って金をばらまいた人です。英語をご存じなら英語で言うところですけど、ご存じないようですから」【※小ピットの言葉と対仏政策については第44章「ピット親子」参照】

「君は知っているのかね?」

「ジルベールさんに教えてもらいました」

「三週間で? とんでもないペテン師だな」

 ピトゥはやり方を間違えたことに気づいた。

「わかりました、もう異を唱えたりはしません。先生には先生のお考えがありますから」

「まったくだ」

「ようやくわかりました」

「わかればいい。自分の意見を持つことを認めてもらえて感謝するよ、ピトゥ君」

「そうですか。まだ怒ってらっしゃいますね。こんな状態が続くようなら、いつまで経ってもボクが此処に来ざるを得なかった事情を説明できないじゃありませんか」

「では来ざるを得ない事情があったのだな? おおかた担ぎ上げられて送り込まれたのだろう」

 神父は嘲るように笑い出した。

「先生」議論を始めてからというものピトゥがたどり着きたかった地点に神父の方から進んでくれた。「ボクが先生のお人柄にどれだけ敬意を抱いているかご存じですよね」

「よかろう、その話をしようか」

「それに先生の智識にどれだけ感銘を受けているか」

「人たらしの蛇め!」

「ボクが? 何故ですか?」

「何を頼みに来たのだ? 此処に戻して欲しいということか? 絶対に駄目だ。生徒たちを蝕ませるつもりはない。冗談ではない。いつまでも毒液を撒き散らして、若い芽を侵蝕するつもりであろう。|毒液アリテ飼葉ヲ毒セシ《Infecit pabula tabo》」【※ウェルギリウス『農耕詩』第3巻481行より。「かんかんと燃ゆる季節が、獣を打ち倒し、池を汚し、秣を毒した」】

「でも先生」

「どうしても日々の食事が欲しいのであれば、そんな頼み方はやめ給え。どうせパリの首吊り役人気取りどもも正直者と変わりなく物を食べるのであろう。まったく、何を食べるのやら。生焼けの肉を一切れ放って欲しいと頼まれれば、望み通りにもしよう。だが玄関前で、施しという形でだ。ローマの貴族が隷属民に与えたのと同じやり方で」

「先生」ピトゥが姿勢を正した。「食べ物は要りません。自分の分はありますから。誰の厄介にもなるつもりはありません」

「そうなのか」神父が目を瞠った。

「ほかの人たちと同じように生きるだけです。物乞いもしませんし、天から与えられた才覚で生きて行きます。ボクにはボクの務めがありますし、そもそも同胞(mes concitoyens)の厄介になることは無さそうです。その同胞たちから指揮官(chef)に選ばれたんですから」

「何ッ?」神父は驚きと恐怖の入り混じった声を出した。毒蛇を踏んづけてしまったような声だった。

「そうですよ、指揮官に選ばれたんです」ピトゥは悦に入って繰り返した。

「何を指揮するというのだ?」

「自由な人たち(hommes libres)の部隊です」

「可哀相に、気が狂いおったか」

「アラモンの国民衛兵を指揮するんです」ピトゥはうわべだけでも謙遜して見せた。

 神父はピトゥの顔を覗き込み、もっとよく表情を見て発言内容に間違いないか確認しようとした。

『アンジュ・ピトゥ』64-7

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「信じるしかあるまいな、王権はここまで落ちぶれているのか。こんな小僧が――」とピトゥを指さし、「アリステイデス(Aristide)やポキオン(Phocion)の名を引用するように、ラファイエットの名を引用するほどだとは」【※アリステイデス。同名の人物は何人かいるが、ここで述べられているのはアテネの政治家である正義のアリステイデス(B.C.530-B.C.468)か。ポキオン(B.C.402-B.C.318)はアテネの政治家。】

「今の言葉を民衆(le peuple)に聞かれてなくて良かったですね」ピトゥは思わず言ってしまった。

「そうかね?」神父が勝ち誇って声をあげた。「とうとう正体を現したな、脅迫者め。民衆か、なるほど民衆だ。卑劣にも王国の軍人たちの喉をかっさばき、臟を引きずり出した者どものことだな。結構。ラファイエット殿率いる民衆、バイイ殿率いる民衆、ピトゥ殿率いる民衆。なぜ私のことを今すぐにヴィレル=コトレの革命主義者どもに密告しない? なぜプリューまで引きずって行かない? なぜ腕をまくって街灯に吊るさないのだ? さあピトゥ、勇気ヲ持テmacte animo、ピトゥ、心ヲ強クSursum ! sursum !、ピトゥ……さあ縄は何処だ? 絞首台は何処だ? 絞首人は此処だな。ぴとぅヨ、勇気ヲ持チテ気高クアレMacte animo, generose Pitoue

然ラバ星々マデ至ランSic itur ad astra!」ピトゥがぼそっと呟いた。ピトゥとしてはこの成句を締めようとしただけで、非道い当てこすりを言ったことには気づいていなかった。【※◆前段の「Macte animo, generose Pitoue.」は、通常「Macte animo generose puer, sic itur ad astra 」の形で用いられる。「子よ、勇敢に、気高く、さらば星々まで届かん」の意。フォルチエ神父は「puer」を「Pitoue」にもじっている。もともとはウェルギリウス『アエネーイス』第9巻641行「Macte nova virtute, puer, sic itur ad astra」より、アポロンがアエネアスの息子アスカニウス(ユルス)を励ます言葉。「Macte animo, generose puer,( sic itur ad astra)」の形でヴォルテールが好んで用いた。】

 だが神父が激怒しているのを見て嫌でも気づかされることになった。

「ほう、そう思うのか。では私はそうして星まで至るとしよう。絞首台を用意してくれ」

「そんなつもりで言ったわけじゃありません」ピトゥが声をあげた。議論の成り行きに不安を感じ始めていた。

「約束してもらおう。気の毒なフーロンやベルチエのいる天国に行かせてくれ」

「お願いです、先生」

「君はとっくに首吊り縄を手にしているではないか、絞首人君。市庁舎広場の街灯に上っていたのは君ではないのか? その蜘蛛のような醜い腕で生贄をおびき寄せていたのは君ではないのか?」

 ピトゥは憤怒の叫びをあげた。

「間違いなく君だ。君のことはよくわかっている」フォルチエ神父は予言をするヨヤダ(Joad)のように高揚していた。「君のことはよくわかっている。叛逆者カティリナ(Catilina)とは君のことだ」【※Joad。Joïada とも。ヨヤダまたはエホヤダ。旧約聖書『歴代誌(下)』等に登場する祭司。神殿の補修のため銀を集めたり(列王記(下)12:9-)、バアルの神殿でヨアシュ(ヨアシ)王を即位させアタルヤ(アタリヤ)女王を処刑し人々に神との契約を結ばせた(歴代誌(下)23:1-)。英訳では「Joab」になっている。/Catilina。ルキウス・セルギウス・カティリナ(Lucius Sergius Catilina,B.C.108-B.C.62)。共和制ローマへのクーデターを企てた。キケロ「カティリナ弾劾」で知られる。】

「どれだけ許し難いことを仰ったかわかってるんですか? ボクを侮辱してるんですか」

「君を侮辱しているのだ」

「それ以上続けるつもりなら、国民議会に訴えますよ。だけど……」

 神父は突然ぞっとするような嫌らしい笑い声をあげた。

「告発するがいい」

「善良な市民を侮辱する不道徳な市民には罰が下されるんですよ」

「街灯かね?」

「先生は不道徳な市民です」

「縄だ、縄をくれ!」

 だが突然「待てよ?」と叫ぶと、何かを閃き義憤をほとばしらせるように激しく動いた。「兜だ、兜。此奴だ」

「ボクの兜がどうしたんです?」

「ベルチエから湯気の立った心臓を引きずり出し、血塗れのまま選挙人の机に運んだ人でなしが、兜をかぶっていた。兜をかぶった人間とは君だ、ピトゥ。兜をかぶった人間は君だ、化物め。立ち去れ、立ち去れ、立ち去るがいい!」

 まるで悲劇の台詞のように「立ち去れ」という言葉を口にしながら、神父が詰め寄ると、ピトゥは後じさった。

 読者諸兄はご存じの通りピトゥは潔白である。ところがピトゥは糾弾されてあれほど誇っていた兜を遠くに放り投げた。厚紙で裏打ちされた銅製の兜は、くすんだ音を立てて敷石の上に落ち傷だらけになった。

「ほら見ろ、認めおったな!」

 まるで手紙を見つけてザイール(Zaïre)を責める、ルカン(Lekain)演じるオロスマーヌ(Orosmane)の如き立居振舞であった。【※『ザイール(Zaïre)』は、ヴォルテールの戯曲。スルタンのオロスマーヌに愛されたキリスト教徒のザイールが、一通の手紙によって不実を疑われ、スルタンに刺されて命を落とす。あとで無実に気づいたスルタンも自殺する。ルカン(Lekain)は、オロスマーヌ役を演じたフランスの俳優(1729-1778)。】

PROFILE

東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 名前:東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 本好きが高じて翻訳小説サイトを作る。
  • 翻訳が高じて仏和辞典Webサイトを作る。

  • ロングマール翻訳書房
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